或る詩謡い人形の記録〜9〜

設定はこちら



ーーーーーーー
あれから数日。
街の惨状は悪くなる一途を辿っていると牢の中で聞いた。
その一端は魔獣が人々を襲っているのもあるらしい。
夫婦の拘束から放たれた魔獣は必然的に町に下りたのだろう。
ゼクスの科学とレイラの魔力で封じ込められていた魔獣が自由になったのだ、当然といえる。
その所為で被害が増大し、事の深刻さを増しているようだ。
あの夫婦自体が魔物になったという噂もあった。
お互いの奪われた腕と目を人々からもぎ取り徘徊しながら王宮を探しているという。
・・・しかしそんな事どうでも良かった。
王に愛されない自分には関係ない。
この世界に存在する意味など、ないのだ。
くすくすとイスファルが狂ったように笑い続ける。
気味が悪い、と看守が顔を顰めた。
「・・・気味が悪い?君が悪い?あははっ、なんとでも」
蒼の眸が看守を見る。
それは虚空で濁っていた。
気高く意志が強い、それでいてまだ可憐な少女、という彼女の面影はもう、ない。
「ねえねえ、三日月。私の手、汚れてる?」
牢の中に彼女の声が響いた。
凛としたイスファルの声とは違う、聞いているものが狂ってしまいそうな声で。
まるで呪詛のような意味の無い言葉を永遠と。
彼女は今日も様々なものに問いかけている。
「ねえねえ、太陽。私の血は赤い色かしら?」
「煩い、この『大逆の魔女』!!」
看守の声が牢屋に響いた。
彼らも限界なのだろう。
疲れきった目を怒りに震わせて牢に近づいてくる彼らに、かつて名将と呼ばれた彼女は気にも留めず返事が返ってくることのない質問をし続けた。
作られた笑顔を貼り付け、彼女は何もない空に向かって今日も問いかける。
「ねえ、ねえ、***」
白い手を伸ばしにっこりと笑う、雪菫の少女。
「私は誰かに愛されていますか?」






或る詩謡い人形の記録〜9〜






そんなある日の事、王に呼ばれているとイスファルは牢を出された。
処刑台にでも送られるのかと思ったが連れて来られたのは何故か聖堂であった。
神の前で懺悔しろと言うことだろうか、と訝りながらイスファルはその重い戸を開く。
「・・・王・・・様・・・?」
細い彼女の声が聖堂に響く。
「レイナス王・・・?」
彼女が『殺した』はずの『歌姫』を抱いてレイナスは何かを呟いていた。
その姿を見て強烈な不安に駆られたイスファルが「レイナス!」と声を出す。
「・・・ああ、イスファル。来たんだな・・・」
ゆらりと声のした方を見たレイナスが力なく言った。
にこり、と彼が嗤う。
「・・・っ!!!」
凄い力で突き飛ばされた。
気道が圧縮される。
レイナスが馬乗りになっているのだと気付いた時にはもう遅かった。
「お前が命を奪った歌姫・・・その代わりになってもらおうか」
低い声が聖堂に響く。
それだけで殺されそうだった。
「・・・なに、を・・・」
身体が震える。
床に手足を縛り付けられ、イスファルはゆらりと立ち上がるレイナスを怯えた目で見つめた。
レイナスに殺されるのなら構わないと思う。
その、末路を辿るだけの『罪』があると、イスファルは知っていたから。
しかし・・・この異様な空間と、何よりレイナスの貪欲な眸が怖かった。
何かに取り付かれているようにレイナスがイスファルの周りを動く。
儀式めいたことをしている、と気付き、彼女は身体に傷がつくのも構わず暴れた。
「何が言いたいか分かるか?」
「・・・いやっ、いや・・・なに・・・」
「『歌姫』の命となれ、雪菫」
「・・・え・・・?」
その言葉に、イスファルは動きを止める。
にたりと嗤ったレイナスが棒を投げ捨てた。
おそるおそる周りを見ると何かがイスファルを取り囲んでいる。
ああ、魔方陣の一種かとぼんやりと思った。
「・・・君は・・・ぐ・・・りから・・・るから・・・」
離れたところに座り込んだレイナスの小さい声が途切れ途切れになって聞こえてくる。
動かない歌姫を抱き上げたかと思うとすぐに見えなくなった。
入った時に長細い箱があったのを思い出す。
あれは棺でそこに歌姫が寝かされたのだろう。
・・・儀式の準備が、整ったのだ。



王は事の外魔術に関して、無知だった。
『ニア』を起こすのに必要なのは『イスファル』の命だけではないと。
・・・レイナスが容赦なく殺すことを命じた、あの偉大なる魔道師の力も必要である事を。
彼は無鉄砲だった。
ニアの命を、笑顔を、ただ護りたかった。
それ故に目の前に打ち震える少女の思いに気付く事はなかった。
・・・もう、永遠に。



ナイフが振り下ろされる。
虚空を映すイスファルの眸に紅いものが映った。
「いやぁぁあああっ!!!!」
意思から反して喉元から絶叫が出る。
それはまるで別のものの声を聞いているようだった。
苦しい、痛い、怖い・・・辛い・・・?
様々な『モノ』が彼女の中を駆け巡る。
それらを別次元のものに思う彼女には全てがスローモーションに見えた。
細く白い手が空を切る。
その手はどうやってあの重い剣を持っていたのか不思議になるほどに細かった。
(歌姫ならこの人は愛してくれるかな・・・)
光が少女達を包む。
王は笑顔だ。
ああ、歌姫などどうでもいい。
世界も、歌も、魔物も、何もかも。
貴方が笑顔ならそれだけで・・・ー。
想う彼女の視界が翳む。
意識が途切れる。

(次は・・・愛する人の・・・ために・・・詩、を)







その後王国は滅びた。
何が引き金であったのか、それは誰にも分からない。
ただ、伝承によれば・・・『処刑』された雪菫の少女は確かに笑顔であったという・・・。







一人の男を想い、彼の為だけに尽くした少女の、狂った愛の物語


〜終〜

name
email
url
comment