ウェディングしほはる

「…ただいま。…って」
「あ、志歩ちゃん!おかえりなさい!」
「みのりってば…アンタの家じゃないでしょ」
玄関を開けた途端、元気なみのりと呆れたような愛莉の声が出迎える。
「えー、でもでもっ!ただいまって言われたらおかえりって返さなきゃ!」
「まあ、それもそうね。…おかえりなさい」
みのりの言葉に考えを変えにこりと微笑む愛莉を見、今日も賑やかだな、と思いながら志歩はもう一度ただいま、と告げた。
「今日も練習だったの?」
「まあね。みのりたちは?配信?」
「ううん!今日は配信の打ち合わせだよ!すっごーく楽しい企画だから、期待しててね!」
「分かった分かった。…って、お姉ちゃんは?」
やる気充分のみのりに苦笑しつつ、そういえばとはたと気付く。
いつも見送りをしているはずの雫がいなかった。
何か二人に渡すものでも取りに行っているのかと首を傾げていれば、愛莉が小さく笑う。
「ああ、雫はね…」


小さくノックをし、志歩はそっと雫の自室の扉を開く。 
あら、と雫が嬉しそうに笑った。
「おかえりなさい、しぃちゃん!」
「ただいま、お姉ちゃん」
小声で手を振る雫に、志歩も小さく返す。
なるほど、2人が言葉を濁していたのはこういうことかと思った。
『…まあ、見てもらった方がきっと早いわね』
『あっ、でも静かに、だよ!』
そう言って帰っていった2人を思い出しつつ志歩は部屋に入る。
「これ、こないだの写真。直接返せなくてごめんって、咲希たちからクッキーと一緒に預かってきた」
「まあ。気を使わせちゃったわね」
「大丈夫。クッキーは今日の調理実習で作ったんだ。私も作ったよ。…みんなで1枚ずつ入れてある」
「あら、そうだったのねぇ!嬉しいわ。…そうだ、今日の配信リハーサルでお菓子を作ったの。しぃちゃんの分もあるのよ」
にこにこと雫が言い、こちらに呼び寄せてきた。
「私は味見で食べちゃったけれど…良かったらお茶にしない?晩御飯、今日は遅い日でしょう?」
「…それは嬉しいけど…」
「準備してくるわ。…だから、遥ちゃんをお願いね?」
志歩を先に座らせてから雫が立ち上がる。
部屋には志歩と…遥だけが残された。
きっと気を遣ってくれたのだろうとそっと息を吐き出し、肩に寄りかかる遥の髪をそっと撫でる。
静かな寝息に、本当に寝ているのだろうかと心配になった。
彼女の無防備な姿が珍しすぎたのもある。
そう、遥は雫の肩に寄りかかって寝ていたのだ。
それを座った志歩が抱き寄せ、今の体制になっている。
僅かに上下する肩と、伏せられた瞳に、お人形さんみたいだなぁなんて思いながら志歩は先程雫に返した写真を思い出していた。
幸福の瞬間を切り取った、という彼女の写真はタキシード姿で、隣にはこはねの相棒であるという杏がウェディングドレス姿で写っているそれ。
撮影の経緯は色々あったようだが、志歩は素直に良い写真だと、そう思った。
本当に結婚をする訳ではないからだろうが…それでも、そこに映る彼女たちは幸せに笑っていて、何だか良いなぁと思ったのである。
「…私なら何を撮るかな」
ふとそんなことを思い、志歩は小さく笑った。
バンドのメンバーと練習しているところやクラスメイトの二人とフェニックスワンダーランドに行っているところも、確かに幸せなのだけれど。
「…。…うん、いい写真」
指をファインダーのように構え、志歩は満足するように頷く。
普段は完璧な彼女の、無防備な寝顔。
少し背が高い遥が、志歩の肩に頭を寄せて寝息を立てている、なんていう構図。
何でもない日常が、一番幸せだな、と苦笑していればファインダー越しの彼女と目があった。
「…桐谷さん?」
慌てて手を下ろせばぼんやりした遥が、「…あれ…?」と首を傾げる。
「…私、いつの間に…。…日野森さん?!」
「…おはよ、桐谷さん」
離れる温かさを少し残念に思いながら言えば彼女は綺麗な目をまんまるにしてこちらを見た。
「え、うそ、だって…」
「もしかして、まだ寝惚けてる?」
くすくす笑いながら遥の髪に手を伸ばす。
さら、とした髪に触れれば彼女は恥ずかしそうに笑った。
「…まさか、日野森さんに会えるなんて思ってなくて」
「?私の家なんだから、会えるでしょ」
「そうなんだけど…会いたいなぁって思ってたから、本当に会えてびっくりしちゃって。ちょっと夢を疑っちゃった」
可愛らしく笑う遥は、完璧なアイドルというより寧ろ、ごく普通の可愛らしい少女だ。
彼女がウェディングドレスを着ていなくても、己がタキシードに見を包んでいなくても、幸せの瞬間はすぐそこにあるのだなぁなんて思いながら志歩は笑った。
「私としては、桐谷さんがこんな所で寝てる方がびっくりしたんだけど?」
「…ああ、昨日少し企画を詰めてて寝るのが遅くなっちゃって…。雫が、『もうすぐしぃちゃんも帰ってくると思うからゆっくりして行って?』って言ってくれたから、気が抜けちゃったんだと思う」
「…もー…」
苦笑する遥に、驚いてから志歩は頭を掻く。
「?日野森さん?」
首を傾げる遥に、志歩はどうしようかな、なんて思いながら、小さく息を吐いた。
まだ言わなくて良いか、と思いながら、「何でもないよ」と笑ってみせる。
奥のキッチンからと同じものだろうか、彼女から甘い匂いが、した。


幸せの瞬間はすぐそこに。


瞬きをし、志歩はゆっくりとシャッターを切った。




「不思議だよねー。志歩ちゃんも遥ちゃんもお互いあんなに好きなのに付き合ってないんだから!」
「まあ、それも時間の問題でしょ。っていうか、みのりはそれで良いの?」
「えっ、だって志歩ちゃんも遥ちゃんも大好きだもん!大好きな人には幸せになってほしいのは当然かなぁって!」
「…アンタって本当、ファンの鑑よねぇ…」

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