或る詩謡い人形の記録〜3〜

設定はこちら



ーーーーーーー
ふわ、と白いワンピースの裾が翻る。
「こんにちは、おばさま」
「あら、また来てくれたのかい、お嬢さん」
大らかな様子が見た目にも分かる屋台の女主人がにこりと笑った。



或る詩謡い人形の記録〜3〜

「ええと・・・」
「ミートパイ、だろ?」
「・・・はい」
良く分かった様子の彼女に少女も照れた様に笑う。
何時も買うから覚えられているのだろうと思いながらふと遠くから聞こえる喧騒に後ろを振り返った。
「・・・あれは一体・・・?」
「おや、知らないかい?今此処では戦場に現れた勇者の話で持ちきりなんだよ。『無名の知将、雪菫』のね」
「・・・あんな騒ぎになるほどの?」
「誰も姿を見た事がないからね。実は男なんじゃないかとかそもそもそんな奴はいないんじゃないかとか」
少女にパイの包みを手渡しながら女主人が笑う。
「まああいつらは主に雪菫の素顔が気になってるのさ。あれ程の武勲を挙げる女だ、美しさとは程遠いだとか・・・本人が聞いていれば卒倒するような事を言ってるよ」
女主人の言葉に少女は苦笑した。
やはりこの格好で来て正解だった、と空を仰ぐ。
何時も視察の時は普通の少女に見える格好で来ているイスファルだ。
城の者だとばれては色々と面倒だからである。
「いやいや、雪菫は可憐な美少女だという噂もあるぞ?お嬢さんのようにな」
「え?」
きょとん、とした表情で振り向くと大柄な男が笑いながら立っていた。
「アンタ、どこほっつき歩いてたの!!」
「あで、そう言うなよ!・・・ちゃんと仕入れてきたって!」
そんな男の耳を引っ張る彼女・・・どうやらこの夫婦は彼女の方が実権を握っているようだ。
目の前で繰り広げられるそれにイスファルはくすくすと笑う。
「お嬢さん、仕入れてきた林檎でアップルパイを作ってあげよう。どうかね?」
「ええ、じゃあ・・・お願いします」
慌てたように言ってくる男にイスファルも笑って答えた。
もう、という女主人も呆れた表情ながらどこか優しい。
こうやって夫婦というものは成立していくのだろう。
「『雪菫』の話以外、特に変わったことは?」
「ないねぇ。余所者は『雪菫』がおっぱらってくれるし、何より王の政治力が良いんだろうね。かつてないほどに安定してるよ。・・・魔獣が降りてこないのも大きいしねぇ」
女主人の話にイスファルも顔を綻ばせる。
民衆から直接話を聞けるのは良いことだし、何より平和だと分かるのが良かった。
「歌姫様もいらっしゃるしなぁ」
「・・・歌姫・・・様?」
作業が終わったのだろう、話に加わる主人のそれにイスファルは首を傾げる。
「どこから来たのか知らんが澄んだ歌声をお聞かせくださる・・・女神のような方だよ」
男がそう言って笑った。
言ってみれば街のアイドルという所か。
「ほい、お嬢さん。出来立てほやほやのアップルパイだ」
「有難う」
暫く歌姫の話を聞いていると店の奥に引っ込んだ主人が豪快な笑顔で渡してくれたそれを受け取る。
代金を支払ってお礼を言ってから、イスファルは踵を返した。
街の人混みを潜り抜け、路肩に止めた馬車に乗り込む。
「・・・遅かったな、イスファル」
「・・・。色々話を聞いてましたから」
「『雪菫』の酷い噂?本物はこんなに美しいって言うのに」
「・・・馬鹿言わないでください」
レイナスの、王とは思えない軽口にイスファルは呆れたようにそう返し、ローブの袖に腕を通した。
明日戦地へと赴くイスファルの用意と視察も兼ねてレイナスと共に街へ出てきたのである。
王室に篭りっぱなしのレイナスも良い気分転換となっているようだ。
イスファルは居住まいを正してから先程屋台で買ってきたそれを齧りながら話を掻い摘んで報告する。
「・・・やっぱり魔獣が降りてきてたのか・・・。あの夫婦に頼んで正解だな」
イスファルの話から取り上げたのはやはりそこだった。
王としても気になっていたらしい。
「しかし今は出てきていないようです。・・・あの夫婦の力が大きいのでしょう」
「でも油断は出来な・・・。・・・?!」
言いかけたレイナスがふと止まり、馬車の窓から身を乗り出した。
「これ、は・・・」
「・・・っ、レイナス王!」
突如として馬車を降りるレイナスにイスファルも慌てて追いかける。
脇目も振らず走るレイナスをイスファルはローブをたくし上げ、彼を見失わないように必死になって走り続けた。
「・・・レイナス、・・・さ、ま・・・?」
突然レイナスが止まる。
その先には人だかりが出来ていた。
問いかけるイスファルを無視してレイナスが人垣を掻き分けた先、彼らの中心に居たのは可愛らしい様子の少女である。

どこか人間離れした少女だった。
クリーム色をしたボブショートの髪がふわりと揺れる。
ふわりとその場の空気が揺れるのを感じた。
ソプラノともアルトともつかない声が音と共に言葉を紡ぐ。

・・・美しい。
そうとしか表現出来ないほどの歌声は心にスッと染込んできた。
どういう意味を持つ歌詞かも分からない。
しかしそんな事はどうでも良くなる、体中を歌声が包んでいくような感覚をイスファルは覚えた。

歌には不思議な力があるという。
慈愛の力もあるが・・・歌に魅了された王族が滅んだという話も、聞いた覚えがあった。
言葉では説明が出来ないような力があるのだろう、とイスファルは思う。
隣に立つレイナスの顔が輝いていた。
彼女の歌の力に魅了されてしまった・・・そんな表情で。
こちらに気付いたのか少女が詩を紡ぐ途中にふわりと微笑んだ。







その笑みの持つ、本当の意味を彼女は後々知ることになる。

この歌姫と王の出会い・・・これが正常だった歯車を狂わせて行くという事をー・・・。

name
email
url
comment