オニアソビ 光忠サイド(へし燭・R-15

とある本丸、その離れから向かう廊下で、光忠は重い足を引きずっていた。
負傷した…とはまた違う。
どちらかといえば負傷「させられた」。
自分をこの部屋に閉じ込めた男によって。
「…何処に行こうと言うんだ?光忠」
「…は、せべく…!」
突如として現れた彼に怯えた顔を見せ慌てて踵を返した。
刹那、べしゃりと体が地に伏す。
振り仰げばへし切長谷部が此方を冷たい目で見降ろしていた。
「相変わらず懲りんやつだな。昨日散々犯してやっただろうに。まだ分からないのか?」
「…分からないのは君の方だよ」
「…何?」
光忠の小さな呟きに長谷部が眉を動かす。
此処に閉じ込められるようになってどれくらい経ったか。
元の生活に戻りたいと光忠は脱走を繰り返していた。
折られた足はまだ痛むがそれでも尚元の生活に戻りたかった。
皆で出陣して、手入れをして、食事を作り、会話をし、笑い合う、そんな当たり前の生活に。
「言ったよね?僕は抗って見せるって。僕は君から逃げてやる、絶対!」
光忠は長谷部を睨む。
長谷部は嘗て光忠が愛していた男であり、光忠を閉じ込めた張本人だった。
こんな生活は真っ平だと切々と訴える。
「なんだ?光忠、鬼ごっこがしたかったのか?いいだろう。今から10数えたら追いかけるからな。俺から逃げ切れたらお前の勝ち、そうじゃなければ俺の勝ちだ。もしお前が負ければ一生この部屋にいるんだぞ」
にやりと笑った長谷部が珍しくそんな事を言った。
何を考えているか分からない。
そんな…捕えた獲物をみすみす逃す真似をするなんて。
脱走をしたときはあんなに怒り狂ったのに、何故。
真意を探っていたがさっぱり分からなかった。
それでも与えられたそれを無下にできないと光忠は立ち上がる。
待っていろと言われ、暫く後帰って来た彼から傷の癒えた本体を渡された。
そう言えば足はもう痛くない。
…何を、考えているのか。
「…僕を舐めるのも大概にしてくれるかな?いいよ、君から逃げきれればいいんだろう?僕が勝ったら二度と付き纏わないでくれ。じゃあ行く、よ!」
睨んで思い切り駆け出す。
数を数える長谷部の声が聞こえたがもう構っていられなかった。
(あは、長谷部くんに足の速さじゃ負けるけど隠れてしまえばこっちものだよね!長谷部君の思う通りにはさせないから)
機動おばけと言われた長谷部に足では敵わない。
勿論それはわかっていた。
だからこそ素早く隠れ、息をひそめる。
(絶対に逃げきって、僕は僕の生活をするんだ。要は長谷部君から見つからずにこの本丸から出ればいいんだから、ここさえやりすごせば…!!)
辺りを見回し、再び走り出した。
恐らく彼が知らない方へ。
…きっと彼は光忠が外へは出ないと思っているだろうから。
(長谷部君は知らないでしょう?本丸の抜け穴を。主がいなくても逃げ出すことは出来る。昔君が『長谷部国重』だった時代にやったんじゃないか)
くす、と自嘲気味に笑う。
光忠にまだ号がなかった時代、一度だけ外に連れ出されたことがあった。
それをしたのが大太刀だった長谷部国重だ。
光忠に光を教えたのは長谷部だった…それなのに。
(誰だって自分の身が可愛いじゃないか。今の主には悪いけど…僕は逃げるよ。…君が僕を変えた癖に。君が僕を暗い部屋から出した癖に今度は君が閉じ込めるの)
息を整えながらぎゅっと己を抱きしめた。
主には悪いと思う。
それでも…此処にはいられない。
遠くから長谷部の声が聞こえた気がした。
振り返らず走り出す。
(所詮、黒田の元で大事にされてきた君には分からないよ。やっぱり君は織田の刀なんだね。僕はあの頃に戻るなんてごめんだ)
裏の小さな門の前にやってきた光忠ははあと大きく息を吐いた。
(一度零れた水は元に戻らない様に、光を知った人形は元に戻らないんだよ。僕は人形じゃない。刀として、僕はこの本丸から出ていくよ。ばいばい、長谷部君)
小さく笑って扉を押そうとしたその背後から。
「光忠ァ!!!!」
「…長谷部、くん」
怒鳴り声にびくんっと体を竦ませる。
歪んだ笑みの長谷部が楽しそうに笑いながら近づいてきていた。
「光忠、おまえばかなやつだなあ。どんなに逃げたつもりでもおまえはここに帰ってくる。そういう運命なんだよ。逃がさないと言っただろう?さあ、どうする?その扉の鍵はもう飲んでしまったぞ?」
長谷部が己の喉元を差した。
はっとして門を見る。
知らないだろうと思って油断した。
顔を顰め、ゆっくりと彼を見る。
「ねえ馬鹿なの長谷部君。僕らは刀だよ。鍵がないなら扉を壊せばいい。僕は長谷部君の思い通りにならない。言ったよね?君に振り回されるなら僕は…死ぬ」
刀をすらりと抜いて光忠はその扉を破壊した。
そのまま西に向かって、走る。
長谷部がその後ろから追いかけてくる。
果ての無い、オニゴッコ。
「知ってる?長谷部君。刀ってね、破壊されると塵も残らないんだって!戦って刀として…君に振り回されることなく死ぬ、なんて理想だよね」
「お前のそういうところを好ましく思うよ。みすみす破壊させるわけはないがな」
長谷部が手を伸ばした。
それをひらりと躱す。
「あは、何のために逃げてるか分からないじゃないか。君に破壊されるところを助けられるなんてさ!!長谷部君のそう言うところが嫌い。大嫌い」
吐き捨てるように言う光忠に長谷部はくすくすと笑った。
「素直じゃないな。本当に仕様がない男だ。ならもう逃げなければいい。戻ってこい」
「戻って来いと言って戻ってくるとでも?じゃあね、長谷部君。もう二度と会うことはないだろうけど」
今度は光忠が笑って見せ、そう告げる。
途端、長谷部がぴたりと止まった。
「おい、光忠。頼む戻ってきてくれ。俺とお前とずっと楽しく生活してきたじゃないか。これからもきっと楽しい、そうだ、そうに決まっているだろ?」
珍しくすがるようなそれに大きく距離を取って光忠も止まる。
「ふふ、傲慢なところ、ほんと前の主そっくり。君が楽しいからって僕が楽しいとでも思ったんだ。…さようなら。来世は僕のいないところで幸せになってね」
にこ、と笑うと長谷部は顔を伏せた。
その隙にまた一歩大きく下がる。
「そうだな、確かに俺は傲慢だ。俺はお前と一緒にいて楽しかったが、お前は楽しくなかったんだな。すまなかった。お前がいない世界で幸せになるくらいならお前を思って不幸になる方を選ぶよ」
何か見当違いの事を長谷部は言っていた。
違う、違うチガウそうじゃない。
「僕の幸せを思うなら僕から離れて。もう僕に構わないで。君が不幸になろうがもう僕には関係ないんだから。…僕を…自由にして」
吐露するように彼に向って言葉を放つ。
ただ、自由になりたい…それだけなのに。
「すまない光忠、お前を手放すことはできないな…。自由?刀の俺達が自由だって?光忠は変わってるな。自由なんてどこに行こうとあるわけないのにな」
くすりと長谷部が笑った。
やはり彼はわかっていない。
「僕にとって君がいない世界は自由と同義だよ。伊達に行った僕がどんな思いだったか知らないでしょう。僕を捕まえようと躍起になってる君は、ね」
「ああ、知らんな。俺はお前ではないからな。お前が逃げなければ俺だって躍起になって捕まえようとはしないさ」
困ったように笑いながら長谷部が手を伸ばす。
顔を顰めて光忠はそれから逃げる。
「君が追いかけてくるから逃げるんだろう。君が放っておいてくれたら僕は平穏無事に過ごせるのに。君が追いかけてくるから僕は僕を殺すのに」
「いつまでも待つだけの男でいるのはやめんたんだ。欲しいものは自分で動いて手に入れてこそ、そうだろう?光忠」
「強欲だよね。君、そういう所変わらない。でもね、奪われるだけの僕はもういないんだよ。手に入れられない、目の前でいなくなる恐怖を知ればいい」
笑う彼に言って、光忠は敵陣に対峙した。
ちっと背後から舌打ちが聞こえる。
「なあ、どうしてそんなにわがままをいうんだ?なんだって叶えてやっただろう?いい子だから聞き分けてくれ」
宥めるような長谷部の声。
本当に…苛々する。
「僕の意見なんか聞いてくれた事ないくせに。なんでも叶えてくれるって言うなら僕を自由にさせて。それが嫌なら…僕は自分で命を絶つよ」
「ほんとうに手間がかかるな、お前は。もう帰ろうな、きっとつかれてるんだろう」
長谷部が笑む。
彼は本当に人の話を…自分の話を聞いてはくれないんだな、と嘆息した。
「長谷部君って本当に僕の話を聞いてくれないよね。じゃあ僕も長谷部君の話を聞かない事にするね。ばいばい、さようなら」
優しく微笑み、光忠は本体を捨てて敵の前に躍り出る。
斬りかかろうとした敵から長谷部が庇う。
「この大馬鹿者が!!どうしてこんなことをした!答えろ燭台切!!」
「どうして庇うの。僕は君から離れたいだけなのに…!!」
振り切って走り出し、槍兵の前に飛び出た。
容赦なく己の躰を斬りつける。
ぴしり、と音が聞こえた…気がした。
(…ああ、…よ…やく…長谷部くんから……はなれられ、る…)
刀剣破壊で起こる白い光が光忠の体を包む。
駆け寄ってくる長谷部に笑みを返し…光忠は意識を途切れさせた。




暗い沼から浮上するように、光忠はぼんやりと目を開けた。
「…う、ぁ……。……え?なんで…僕の、体…。…だって、僕は、ぼ、くは…破壊された、はずで……」
倒れる前とそっくり同じ体にふわりと首を傾げる。
まさか二振り目なのだろうか。
記憶保持など聞いたことないけれど。
身体の痛みは前と同じでまさか夢だったのではと錯覚をさせた。
からりと襖が開く。
そこから顔を覗かせた人物に光忠の顔が強張った。
「…は…せべ、く…???なん、で…?!!!ひ、ぐぅ、ぁああ?!!!」
逃げ出そうとして布団に倒れ込んだ。
足の痛みが戻っている。
…足はけがをしていないはずなのに。
一体何故。
「おはよう光忠。いい朝だな、体の調子はどうだ?ああ、無理に動かない方がいい。お前がまた無理をしないように脚の腱は切っておいてやったからな。大丈夫だ、お前は何も心配せずにこの部屋にいればいい」
長谷部が笑う。
つまりさっきまでの事は夢じゃなくて、破壊されたのは本当で。
…これは綿密に練られた計画で。
この鬼ごっこは己が拉致した光忠が「破壊され」二度と本丸に戻れない様、長谷部が仕組んだ罠だった。
ふら、と目の前が暗くなる。
混乱する光忠の頭を長谷部が撫ぜた。
「かわいそうに…痛いなあ。大丈夫だ、俺のお守りをこっそり持たせたことは誰にも言ってないからお前はもう折れたことになってる。内番も出陣も何もしなくていいんだぞ。…前の様に、な」
にやにやと長谷部は笑う。
知っていたのだ。
知っていて敢えて光忠に希望を見せた。
…それが…赦せない。
「…なんで…?!!…いや、いやぁああ…!…え、して…返し、て…返せよ!!!僕の自由を返せ!!!!」
ぼろぼろと涙を溢し、光忠は長谷部に掴みかかる。
何か長谷部が囁いていたが光忠には聞こえなかった。
「…いや、いや………ぼ、くは…僕は、みんな、の、いる本丸に戻りたぃ…!!!ぅあああああ!!!!」
長谷部の本体を奪い取り、己の躰に突き刺す。
赤が流れる感覚。
足りない、これだけじゃあ。
「馬鹿なやつ…。本体が無事ならいくら傷ついても、全身の血を抜かれても俺たちは死ねないのに。本体はほら、あそこに掛かってるぞ。もっとも、お前のその脚じゃたどり着けないだろうがな…」
長谷部が笑いながら指を差した。
「は、はは…そ、れは……どうか、な!!!!」
引き抜き、ヒビが入った本体に向かって長谷部の本体を投げる。
「お前は投石ができないからなぁ。もっとコントロールの腕、磨いた方がいいんじゃあないか?」
せせら笑いながら投げた本体を叩いて長谷部は軌道を変えた。
かん、と音を立てそれが落ちる。
仮にも自分の本体なのに、それほどこちらを優先したいのだろうか。
「…!!…ははっ、知らなかったかな?ぼ、くは、君より生存率高い、ん、だよ!!」
力を振り絞り自分の本体に向かって走り出す。
愚かしい、と言いながら長谷部がその足を踏みつけた。
無様に地に伏せる。
「もう諦めろ」
「…まだ、だ」
囁く長谷部に言い返し、光忠は地に堕ちた長谷部の本体を掴み上げそれを…折った。
「ぅぐぁ…ぁああああ?!!!!!き、さま、光忠ァあああああ!!!」
「は、はは、良い最期だよ」
白い光の中で悶絶する長谷部にそう告げて、折れたそれを手に持ち自分の本体へと歩み寄る。
小さく目をつむり…振りかぶった。
「さようなら、僕」
振り下ろそうとしたそれは強い力によって防がれる。
「?!」
勢いよく振り仰ぐ光忠の腕を止めていたのは…破壊したはずの長谷部だった。
「…な、んで、君…」
「守り札を付けていたのが自分だけだと思ったのか?」
呆然とする光忠の手からからんとそれが落ちる。
逃げられない。
「ぃ、や…ぃやあああああああああああぅううんっ!!!!」
悲鳴を上げる光忠の口が塞がれた。
長谷部のそれによって。
それが…悪夢の再開。



鬼さんこちら、逃げた子どちら?

さあさ鬼さん手の鳴る方へ。


捕まったらさようなら。

日の光見ずさようなら。

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