純情少年と悪いお姉さん、前日譚/ザクカイ♀

忍霧ザクロの日課はジョギングである。
朝イチの運動は身体にも心地良く、リズムを整えられるのでザクロは良いと思うのだが、なかなか同意は得られなかった。
特にこの部屋の主、カイコクはザクロとは違って朝が苦手なようで、起こしに来るなら10時、と言う始末である。
全く嘆かわしい。
小さく溜息を吐き出し、部屋の戸をノックした。
カイコクを朝起こすのと夜の点呼もこれまたザクロの日課になりつつある。
「おい、鬼ヶ崎。起きているか?」
声をかけ、入るぞ、とノブを回した。
消灯時間以外は行き来が自由な為、あまりプライバシーもない。
そもそもパカメラでリアル実況されているのだから今更だろうが。
「鬼ヶ崎?」
返事がない事に訝しみ、辺りを見渡した。
ガランとした部屋はザクロをゾッとさせる。
…彼が白の部屋に連れ去られた時を思い出すから。
探せど探せどどこにも居ない、という恐怖はザクロの心に深く傷を残している。
「鬼ヶ崎っ!!」
「…お前さん、朝から元気だねェ……」
ザクロの気持ちなぞ露知らず、カイコクが顔を見せた。
「貴様っ、呼ばれたら返事をしないか!心配した…」
だろう、という言葉は宙にとけて霧散する。
きょとりとするカイコクの服がはだけ、肌が顕になった。
ふるり、と胸が…女性の胸が揺れる。
一時の間を置いて、【ザクロ】の悲鳴が部屋に響きわたった。

「…いや、なんでだよ」
冷静に突っ込んだのはアンヤである。
「おかしくねぇ?!なんで鬼ヤローじゃなくてテメーが悲鳴上げてんだ、どっちが女子か分かりゃしねぇ!」
「アンヤくん、忍霧さんは女性が苦手だから仕方ないですよ」
それにニコニコとフォローを入れるのはアカツキだ。
…それがフォローになっているかは別として。
「ふむ、見たところ命に別状はなさそうだ。何かしらの薬が効いてるなら数日で元に戻るだろう」
「よ、良かったです…」
ユズの見立てに柔らかな笑みを見せるのはヒミコだった。
他も安堵の息を漏らす。
「ったく、ビビらせんなよなぁ」
「何ともなくて良かったですね、鬼ヶ崎さん」
「心配かけたな、駆堂、嬢ちゃん」
アンヤとカリンに苦笑して見せるカイコクは焦った様子が何もなかった。
動揺などしないのだろうかとザクロは思う。
「カイさんは何時もの服も和装だし、そのままで問題は無いと思うぜ。後は…下着かにゃ?」
見解を述べていたユズが悪い顔で笑った。
「ちょっと、ユズ先輩?男子もいるんですよ?」
「にゃははー、細かい事気にするなよカリリンー!」
「ユズ先輩が気にしなさすぎるだけです!」
もう!と怒るカリンとへらへら笑うユズはよく見かける光景である。
「あ、あの、私のお貸ししましょうか?」
「…ありがとな、伊奈葉ちゃん。だが……」
おずおずと進言するヒミコにカイコクは困ったように笑った。
「ひーみんのは流石に入らないと思うぜ?なんなら、ボクのでも難しそうだ」
ユズが笑い、くしゃりとヒミコの髪を撫でる。
「カイコクさん、体は大丈夫ですか?」
「……肩が、重ェ」
アカツキのそれにカイコクが眉を顰めながら言った。
先程ユズが言うに大きさはEかFらしい。
「…無駄にでけぇもんな」
「……駆堂、後でちょっと部屋に来な」
「あ?んでだよ」
「アンヤくん!カイコクさんにごめんなさいして下さい!色んな意味で!今すぐ!」
アンヤのそれにアカツキが慌てたように言う。
多方面からの重圧はどうやらアンヤにだけ伝わってないようだった。
…と。
「なっ、なななな…!」
聞き覚えのある声が耳につく。
振り返る全員の目に映ったのはアルパカの被り物をした男の姿だった。
「貴方様は鬼ヶ崎様でいらっしゃいますか?いらっしゃいますね?!豊満なボディにロリフェイス!あぁ、何故斯様な姿に…!」
「五月蝿えし近えんだが…」
パカのそれにカイコクは煩わしそうに眉を顰める。
「…ほう、アルパカくんも知らないのか」
意外そうなユズのそれに、勿論ですとも!とパカが胸を張った。
大変ウザったらしい。
「私が知っていましたら真っ先に保護、白の部屋にて身体検査を……」
カイコクの手を握りながら言われるそれが最後まで紡がれる事はなかった。
蹴り飛ばされたパカに向けられた武器は二種類。
「…野蛮ですねぇ。駆堂様、忍霧様」
「うるせぇ、テメーが妙な事言うからだろーが、この家畜野郎」
「鬼ヶ崎に手出しはさせない」
「フェー」
殺気立つ二人を制したのはユズだった。
「まあまあアルパカ君。あまり過激な発言は止してくれ。…こっちにはひーみんもいるんだぜ?」
「…っ、そうでした、私には伊奈葉様という女神が…!」
パカのそれにヒミコが冷たい視線を返す。
中々表情豊かな彼女のこの反応はレアだった。
強くなったな、とザクロは思う。
「…さて、鬼ヶ崎様。何にせよ少し検査が必要かと存じますが」
「嫌でェ」
パカのそれにカイコクは短い返事を寄こした。
余りにもバッサリ。
いっそ清々しささえ感じてしまうほどだ。
「鬼ヶ崎様」
「…しつこい」
不快な表情を浮かべていたカイコクのそれが痛みに歪む。
見れば掴まれた腕にぐっと力を入れられている様で。
「…貴様っ…!」
思わずナイフの刃を出そうとした…瞬間である。
間抜けな断末魔を残し、パカが倒れた。
「…嫌がってるのに無理矢理、だめ」
「…逢河」
いつものローテンションでカイコクを後ろから抱きしめ、淡々と言うのはマキノである。
「おー、マキマキ!流石だな!」
「逢河さん、王子様みたい!」
「格好良いです!」
女子からの賞賛が飛んだ。
男子は全員ぽかんである。
「…カイコッちゃん、大丈夫?」
「…あ、あぁ。大丈夫…」
振り仰ぎ、ふわりとカイコクが笑った。
その途端ザクロは思い出す。
マキノは目を5秒見ると相手を魅了してしまう…事実を。
「っ、忍霧…?」
「まっ、まままマキノくん!すまない、いくらマキノくんでも鬼ヶ崎はやれないんだ!」
「?!」
無我夢中でマキノからカイコクを引き剥がし、そう叫ぶ。
「…知ってる」
普段表情を変えないマキノが小さく笑みを見せ、とん、とカイコクの背を押した。
支えを失ったカイコクがザクロの胸に飛び込んで来る。
ふにゅりと当たる…胸の感触。
「んだよ、これぇ」
「まあまあ、アンヤくん」
「ボクらも行こうか」
「そうですね」
「遅くなりましたけど朝ごはんにしましょう、逢河さん」
「…行く」
ぞろぞろと皆が出て行った。
待ってくれと叫びたいのに言葉が出ない。
「おっ、お、鬼ヶ崎…?」
代わりに自分の腕の中で動かないカイコクに声をかけた。
「どう、どうした、んだ…?」
「…んでも、ない」
もぞりとカイコクが動く。
視線があまり変わらないからほとほと困ってしまった。
カイコクの身長はどこに行ってしまったのだろう。
そも、カイコクはこんなに気が弱かっただろうか。
「…忍霧」
「なん、なっ、なんだ?!」
慰めた方が良いのかと彷徨わせていた手がびくんと跳ねた。
「…ありがとな」
「…ぇ」
ふにゃりと笑ったカイコクが風の様に己の腕をすり抜けて行く。
「待ってくんなァ!俺も行く!」
先に出た皆を追い掛けて行ったカイコクを見つめ…暫く後ずるずるとへたり込んだ。
…あんなの、反則だ。
囁かれた言葉はザクロを惑わすのに充分で。
今後の苦労が重くのし掛かる気配を…大いに感じたのだった。

『ちょいと怖かったんだ。格好良かったぜ、忍霧』

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