黒猫ハ【 】ニ溺レ堕チル(ザクカイ)

鬼ヶ崎カイコクがいなくなった。
昨日の朝にくだらない喧嘩をしたのが原因で、そういえばその日は一日彼に会っていないのを思い出す。
気づいたのは1時間程前のこと、そろそろ許してやるかと朝が弱いカイコクをいつも通り迎えに行ったザクロを迎えたのは、主がいないがらんどうの部屋で。
まだ怒っているのかとも思ったがそれにしては室内の様子がおかしかった。
「…鬼ヶ崎?」
部屋に霧散する己の声にゾッとする。
彼が白の部屋に連れて行かれた恐怖を、ザクロは未だに忘れる事が出来なかった。
「鬼ヶ崎!」
呼びかけるザクロの目に飛び込んだのは壁に貼ってあった【ゲストルームへ】の文字。
剥ぎ取ってぐしゃりと握り潰し、ザクロは部屋を飛び出す。
犯人は、分かっていた。
逸る気持ちを抑え、指定された場所へ向かう。
開け放たれた扉の先にいたのは、白い部屋の中ポツンと置かれたベッドの上で憔悴しきったカイコクだった。
「…っ!おい、しっかりしろ!鬼ヶ崎!」
「…ぅ……」
揺さぶりながら声をかけるザクロに、カイコクは小さな声を出す。
うっすらと開かれる瞳に、よかったと安堵を覚えた。
…だが。
「…っ!!…れ、に…触んじゃねェ…っ!」
「…?!鬼ヶ崎…?」
「…く、るな……」
カタカタと震えながら放たれるのは明らかな拒絶。
思わず固まるザクロに、声が…かけられた。
「おや、遅いご到着でしたねぇ…忍霧様」
「…貴様」
睨む、その先にいたのはパカである。
恐らくカイコクを攫った…張本人。
彼を…こんな風にした…。
「鬼ヶ崎に何をした!!!」
「私は、違反者に罰を与えただけに御座います」
「罰?あの鬼ヶ崎が怯えるほどのものをか?」
「はい。…これを使って…ね」
訝るザクロを無視し、出てきなさい、とパカが言う。
現れた相手にザクロは大きく目を見開いた。
己と同じ顔の、男。
それを認識したのだろう、見る見る内にカイコクの表情が削げ落とされていく。
「…や、めろ…いやだ……も、ぃや……っ!」
「…おに、がさき?」
頭を抱えてガタガタと震えるカイコクに、ザクロも動揺を隠せなかった。
見たこともない姿に困惑する。
だが、告げられる真実はそれ以上に無情で。
「ミミクリー・マンイーターの改良種にございます。彼を使い、鬼ヶ崎様を抱かせました。…このように」
チリン、とどこかで鈴の音が鳴った。
途端身体が動かなくなる。
「…なんだ、これ…は!」
声を荒らげるザクロとは正反対に、偽物がカイコクに近付いた。
怯える彼をふわりと抱き上げ。
「…ぃぐっ?!ゃあっ!!い"ぎゃぁあっ!!」
「…は?」
目の前で繰り広げられる光景にザクロはぽかんとする。
…これは一体何なのだろう。
「…やぁあああっ!!も、ぃや、だぁあ!!ぅぐっ、あっ、がっ、ぅうぎゅぅうっ!ぃだぃっ、すけ、で…!」
「…鬼ヶ崎、愛している」
懇願のような喘ぎ声を無視して、偽物が涙を散らすカイコクに愛を囁いた。
「…ち、がぅううっ!お、しぎり、は…おし、ぎりは……あぅっ、ふぁっ、ぁあ"あ"あっ!!」
緩く首を振り、彼が手を伸ばす。
助けてと震えるそれは…一体誰に向けてのものだった?
「…なせ」
低く、恫喝する。
ぴくりと偽物の動きが止まった。
「…離せ。鬼ヶ崎を、離せ!!!」
伸ばされた手を掴み、ぐいと引っ張る。
「…あ……」
支えを無くした彼がザクロの胸に飛び込んできた。
おや、とパカが笑う。
ザクロが動くより早く、パカが何かのアンプルをそれに打ち込んだ。
自分と同じ顔が崩れるのは見ていて気持ち良いものではない。
「鬼ヶ崎様はお返しいたしますよ。…それでは」
立ち去るパカに、何の声も上げられなかった。
代わりにカイコクを無言で抱き上げ、バスルームに放り投げてシャワーを浴びせさせる。
「つ、めた…っ!ひっ、ぅ…ゃ…!」
出てきたのは冷水だがザクロは気にしなかった。
どす黒い何かが心を庇っている。
…彼が、カイコクが自分を見ていないと思うだけで。
「…お、しぎり、…すけ、で…たす、け…っ」
「…っ!!!!!あれはもういない!!俺を見ろ!鬼ヶ崎!!!」
震えるカイコクに頭に血が登り、ガッと肩を掴んだ。
同じように彼を犯せば良いのか、とふと頭に浮かぶ。
自分を見てもらうには、それしかないのだと。
服を脱ごうとすれば、カイコクはびくっと躰を竦めゆるゆると頭を振った。
「…お、れが…穢れた、から……お、しぎり、は…すけて…くれな、い…」
「…鬼ヶ崎?」
聞こえた小さな声にザクロは止まる。
今、なんと?
「…ゆ、め……だった…のか。おし、ぎりが…た、すけて……くれた…のは…ゆ、め……」
どこか諦めたような声だった。
我に返り、冷静になって彼を見下ろす。
知り合いによく似た化物に犯されボロボロになったカイコクの躰と精神はとうに限界を迎えていた。
それを尚押さえつけられ助けに来たと信じた相手から犯されかけている。
…なんてことをしたのだろうと、思った。
違う、とザクロは叫ぶ。
「…遅くなってすまない。…鬼ヶ崎、俺は貴様を助けに来た」
冷水を浴びて冷たくなった体を抱きしめた。
「…おし、ぎり…?」
「…夢ではない。偽物はいなくなった。…戻ってきてくれ」
 訥々と囁いて、熱を分け与えるかの様に体を寄せる。
 こんな…弱音を吐いて儚げで…壊れてしまいそうなのは彼ではない、と思った。
 カイコクは、飄々としていてプライドも高く弱さを見せない。
 そんな男の筈だった。
 だから、戻ってこい、と。
ザクロは泣きながら抱きしめて囁く。
「お、れ…よご、れて…」
「…。…汚れてなんかいない。貴様は、貴様の魂は…元のままだろう?俺に助けを求めていたのに。俺は…」
「…なんでお前さんが泣いてんでェ…」
ボロボロのはずの彼に笑われてしまった。
…嗚呼、何時も通りのカイコクだ、とザクロはようやっと安堵する。
「…俺は、貴様に酷い事を…」
「…助けに、来てくれた…んだよな。忍霧」
 ふわりと彼が笑った。
 それを見、ザクロは恋を自覚する。
 無意識の内に唇を寄せた。
 
 どす黒い沼から助け出した黒猫を逃がさぬよう抱きしめる。
 二人の世界には、ざぁあ、と降り続く水音だけが…響いて、いた。
                     (終)

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