忘雪のアキカイ♀

雪が降った。
…もう、3月に入ったっていうのに。

「雪が降ったよ、カイコクさん」
にっこりとアキラは笑う。
それに何の返事もなかったけれど特に気にしなかった。 
代わりによいしょ、と彼女がいるベッドに腰掛ける。
「…」
「雪が降ったよ、カイコクさん。暦の上ではもう春なのにねぇ」
もはや元の口調を隠すこともなく言うアキラに、彼女、鬼ヶ崎カイコクはこちらを睨むばかりだった。
長い月日共に過ごしてきた仲間が敵だったのだからそうもなるか、と嘆息する。
本性を隠したまま接する方法もあった。
それでもアキラはカイコクが欲しかったのだ。
ユコとは違う、プライドが高くて飄々としている割に男勝りで意志も気も強いカイコクが。
こんなにも敵意丸出しなのに自身の危機管理においてうっかりしているカイコクが。
本来の感情の機微を忘れてしまったアキラにとって彼女は体の良い実験体だった。
…ただそれだけだったのに。
カイコクがこちらを避けるように寝返りを打つ。
はぁ、とため息が聞こえた。
「…春になったら逢河に花見をしようって誘われてる。約束は守んねぇとな」
「…他の男の名前を出して、気を引いたつもり?」
「…さあ、どうだか」
くすりと彼女が笑う。
嗚呼、本当に。
カイコクのそういうところが……。
「大体、君は俺から春までに逃げられると?」
「それを聞いてどうすんでぇ。仮に話したところで、そいつが本音だとでも?」
質問が質問で返ってくる。
綺麗な、偽物の笑顔を引っ付けて。
…そんなことをしたら、余計に引き剥がしたくなるだけなのに!
「…雪が降ったよ」
「…。…何回も聞い…。…え?」
鬱陶しそうに身を起こしたカイコクがゾッとしたように凝視する。
彼女の綺麗な目に映るは開いた扉と一面の雪景色。
…それから。
「…知ってる?スノードロップの花言葉」
部屋中に敷き詰められたスノードロップを一輪取って彼女に【捧げた】。
意味は、知っているはずだ、と。
「…っ!!」
「…今なら逃げられるよ。尤も、逃げられる保障は何処にもないけれど」
「…は…」
ぎゅ、と布団を掴むカイコクに笑い、囁く。
気丈に振る舞おうとして失敗しているのが手に取るように分かった。
布団ごと彼女の手を引き外に突き飛ばす。
雪が降り積もる、正真正銘の外へ。
スノードロップの花弁がふわりと舞い上がった。
「…な、にす…!や、返せ…っ!」
カタカタ震える彼女から布団を取り上げる。
今走り出せば逃げられるかもしれないのに、カイコクがそれをしないのは絶対に捕まる、と分かっているからだ。
…捕まれば今より酷いことが待っていると…分かっているから。
雪の中、裸足で…薄い浴衣一枚で耐えきれるわけがない。
何より。
「元々極度の寒がりである君が耐えられる訳がないじゃないですか…そうだろ?」
カイコクさん。
アキラは囁き、ニコリと笑う。
彼女はアキラに逆らえないのだ。
死を…捧げられてしまったから。
「…ひ、きょ…もの……っ!」
せめてもの抵抗か、こちらを睨むカイコクの顎をすくい上げて口付ける。
深い深い、口づけを。
段々と冷えてくる身体には触れず、口づけだけを施した。
寒いと、入れてくれと彼女が縋るまで。
帰りたがっていた外の世界ではなく、アキラが作り上げた部屋の中(じっけんしつ)に。
「…ふぁ、あ…」
「愛してるよ、カイコクさん。…愛がどんなものかは知らないけど」
白い肌の彼女に手を伸ばす。
スノードロップと良く似たカイコクに。
彼女を押し倒した途端、冷たい雪が音を立てた。
忘雪の名の如く、儚いそれは目の前にいるカイコクの様で思わず笑みを零す。
死を捧げられた黒き和服の少女は白の悪意に飲まれ溺れていった。


雪が降った。
春になる前の…最後の雪が。
(彼女に春が訪れるのか、なんてシュレディンガーの猫もいいトコでしょう!)

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