梅雨の彰冬

「大変だ、彰人!」
「…どした?」
冬弥が慌ててやってくるものだから、彰人も眉を顰め、見ていた楽譜を置いた。
何かあったのだろうか。
いつになく真面目な顔で冬弥が口を開く。
「…梅雨が終わってしまうらしい」
「…。…良い事じゃねぇか」
綺麗な口から出てくるそれにぽかんとしながらも、彰人はそう返した。
彼の天然発言には慣れたと…思っていたのだけれど。
きょとんとする冬弥に、ああ、彼にとっては至極真面目な発言だったのだな、と思う。
「…良いこと、なのか?」
「いつもの公園で練習出来なくなるだろ。登下校だって雨じゃ面倒だし」
「…。…確かに、いつもの公園で練習は出来ないな。だが、俺は雨の登下校も嫌いではないぞ」
「…マジか」
小さく笑う冬弥に、まさかそんなことを言われるとは思わず呆けてしまった。
彰人にとっては面倒なことこの上ない雨の登下校だが、冬弥にとってはそうではないらしい。
「ああ。…梅雨が終わると知って、彰人が選んでくれたレイングッズが使えなくなるのかと思ってしまった。…俺にとっては初めてのことだったからな」
「…誰かにレイングッズ選んでもらうのが、か?」
「いや。雨の中、傘を差して帰ったり雨音を感じながら歩いたりすることだ」
楽しそうに冬弥が言った。
初めて、の言葉に一瞬驚いたが…きっと普通のことだったのだと思い直す。
「小学校時代は母さんが迎えに来てくれていた。体を冷やしてはいけなかったからな」
「…」
「別にそれ自体が嫌だったわけではないが…雨のときは殊更、雨音とピアノやヴァイオリンの音がよく響いていた気がする」
冬弥の言葉に頭を掻いた。
きっと、彼は皆が遊んでいる横を帰るのが辛かったのだろう。
だからこそ、冬弥にとって雨は嫌いなものではないのだ。
雨の日は外で遊ぶことが出来ないから。
室内でピアノやヴァイオリンの練習に明け暮れても、皆外に出ることが出来ないから。
周りと平等になれた気がしたのだろう、と。
そこまで考えて、彰人ははぁあと息を吐く。
「?彰人?」
「別に。…つか、梅雨じゃなくても使えば良いだろ、レイングッズ。雨はいつだって降るんだしよ」
「…!…ああ、そうだな」
彰人のそれに、冬弥が小さく微笑んだ。
雨の色をした冬弥の髪が揺れる。
きっと彼と一緒なら、どんな季節も楽しくなると、そう思った。


雨を知らない彼は

誰より雨の色を、している





「紫陽花の色をじっくり見たのも初めてだな」
「…んなもん、オレだってじっくり見た事ねぇよ」

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