薄紅梅(彰冬)

怖いと思うことを、怖いと言えないのは
嘘を吐けないが故の、ただの意地と見栄なんだって


朝から、顔色が悪いなぁとは思っていた。
その相手は自分ではなく、隣をゆっくりと歩く冬弥に、である。
普段なら声をかけることも出来たが、今日は芸術鑑賞会…平たく言えば教師が決めた映画を見に行く、謂わばあまり身にならないような遠足、だ。
クラスが違う彰人と冬弥は朝一瞬会ってから会話すらしていない。
「…大丈夫なのかよ」
ぼそりと呟いた声はガヤガヤとした周りにかき消された。

『貴様は何をやっても駄目だな。まるで出来ていやしない』
『ごめんなさい、お父様』
画面の中の少女が父親に叱られて涙ぐむ。
よくある、成長物語のようだが、つまらないな、と思った。
人からの評価に何の意味があるのだろうか。
『貴様は私の言うことを聞いていれば良いんだ』
父親の台詞が映画館に響く。
序章も序章、ここから大きく成長していくのであろうが大して興味もなかったので、寝るかと目を瞑ろうとし…ふと冬弥が気になった。
「…」
そっと席を抜け出して見渡し、冬弥を見つける。
幸い、一番端だったので近づくのは容易かった。
「…冬弥」
「…あき、と」
腕を引くと、何かを我慢しているような表情の冬弥がこちらを見る。
確か、冬弥は父親に随分と抑圧されていたのだっけ。
彼の自己肯定感が低いのはそれも関係しているのだろう。
じくん、と、心臓に針が刺さったような感覚が、した。
「…出るぞ」
「…だ、が」
「…いーから」
あの映画の少女のような、漫然とした不安と怯えを瞳に滲ませておいて何を言っているのだろう。
ゆっくり立たせて一番近い出口に連れて行ってやった。
教師も見張っておらず、抜け出したい放題だな、なんてどうでも良いことを思う。
明るい中で見た冬弥は不自然なほどに真っ青だ。
「…この見栄っ張り」
「…」
「理由をつけて休めば良かっただろ。見るものは決まってたんだから」
こつん、と冬弥のおでこに自分のおでこをくっつける。
「…見栄、じゃ…ない」
「じゃあ何なんだよ」
「…そ、れは」
冬弥が困ったように口籠った。
彼は真面目なのだ。
自分の感情を押し込めて、正論という名の大人が決めたルールに従おうとする。
人には気を遣うくせに自分の気持ちに気づきもしない。
…気付いているからこその「虚栄心」かもしれないが。
だが、そんなこと、彰人にはどうだって良かった。
「…どーせ、周りに迷惑がかかるとか思ってたんだろ」
「…!」
冬弥の瞳が大きく見開かれる。
あの時だって、今だってそうだ。
自分を、大事にすれば良いのに。
「嫌なら逃げたっていいんだぜ。ま、オレからは逃さねぇけど?」
「…何を、言っているんだ」
彰人の言葉に冬弥が笑む。
漸く笑った、とその頬に手を寄せた。
「…あ、きと」
「…んー?」
「…もうすこし…このまま」
「…仰せのままに」
小さな声で言う冬弥に、彰人は低く囁く。
映画の音楽が、遠くで小さく聞こえた。




お前の白い頬が薄紅梅になるまで一緒にいてやるから

お前はただ、オレの隣にいてくれ

(見栄っ張りは、果たしてどちら?)

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