おねだり類冬

ざぁ、と雨の音が響く世界で。
「…俺にも実験してください」
彼の小さな声が、した。


ことの始まりは数時間前。
神代類は、帰り支度をしながら小さくため息を吐き出した。
今日は先程から降り出した雨のせい…ではなく、定期点検日でショーの練習がなくなり、委員会もない、司は今日は妹と用事があるらしいとことからまっすぐ家に帰るしかなくなったのである。
雨なのにご苦労なことだと類は思いながらも空を見上げた。
久しぶりに家でゆっくり実験でもするかと持ってきた傘を差そうとした…その時である。
少し向こうに雨の中歩く、ツートンカラーの髪を揺らす彼を見つけた。
おや、と思わず漏れた声が玄関ホールに響く。
取り敢えず傘を差し、水溜りを蹴った。
「…やあ、冬弥くん。傘も差さずにイギリス人の真似事かな?」
「…!!神代、先輩」
すぐに追い付き、傘を差し出しながら言えば彼、青柳冬弥は驚いた顔をする。
「日本人でいたいなら入っていくといい。風邪をひいてしまうよ?」
「…すみません」
僅かに顔を伏せた冬弥は小さな声でそう言った。
「相棒くんはどうしたのかな。君が濡れ鼠になるなんて許さなさそうだけど」
「…彰人は、今日はお姉さんと用事があるそうなんです」
「そう」
簡潔な言葉に、喧嘩したわけではないのだろうな、と思う。
どちらかといえば、もっと別の。
「まあそのままにしておくほど僕も非道ではないからねぇ。良ければうちで服を乾かしていくかい?」
「…え?」
軽い気持ちで聞いたそれは、冬弥にとって驚きでしかなかったらしい。
灰青の瞳を丸くして、冬弥が類を見上げた。
「…でも、ご迷惑じゃあ」
「迷惑ならこんな提案はしない。それとも君は、僕が人の心がない悪魔じみた先輩だと思っているのかな?」
「いえ、あの、そんな…ことは」
わたわたと冬弥は言い訳するように言葉を紡ぐ。
面白い子だな、と類は笑った。
「冗談だよ。でも、濡れたままは良くないからね。…ほら」
くす、と微笑み、類は手を差し出す。
宜しくお願いします、とややあって小さな声で言った冬弥が、冷たく白い手を、乗せた。



「…あの、お風呂までありがとう御座いました」
十分に温まってきたらしい冬弥がひょこりと顔を出す。
類の家に着いた後、取り敢えず風呂場に放り込み、温まっておいでと声をかけたのだ。
その間濡れた制服を乾かしていたが、間に合わず、仕方なく類のYシャツを置いておいたのだが…何も思わず着てきたらしい。
スラリと伸びた白い足から滴がポタポタと落ち、白い肌は桜色に染まっていた。
一応類も男子高校生だし…気にならないといえばそれは嘘なのだが…真面目な冬弥に下手に手出しは出来ないと笑みを作る。
ただでさえ類は怪しい、と言われるのだ、気をつけなくては。
「すまない、まだ制服が乾いていないんだ」
「いえ。寧ろそこまでやって頂いてすみません、神代先輩」
申し訳なさそうに冬弥が言う。
ただそれより彼は類の部屋が珍しいのか先程からきょろきょろしていた。
「フフ、珍しいかい?」
「…えっ、あ…」
「部屋に人を入れたことはあまりないから…見せられるものじゃあないんだよ?」
「…!そう、なんですか?」
冬弥が意外だ、とでも言うような声を出す。
不思議に思っていれば「…司先輩は、来たことあると思っていたから」と小さなそれが耳に届いた。
「司くん?…彼は教室かファミレスか…ワンダーステージの舞台裏で会うことが多いかな。互いの家には行っていないよ、今のところはね」
「…そう、ですか」
何故かホッとしたように彼が言う。
「…あの」
「どうしたんだい?冬弥くん」
「神代先輩は、司先輩に…その、実験をしているんですよね?」
唐突なそれに類は金の瞳を丸くした。
確かに司にはショーに使う、という目的で体をふっ飛ばしたり穴に落としたりヘリウムガスで声を変えてみたりなんだりかんだりやってはいるが。
「まあ…あくまでショーの為に、ね。僕は色んな演出が使えるから楽しいといえば楽しいけれど…何か引っかかるかい?」
「いえ。…あの」
小さく首を振った後、冬弥が、くん、と類の服を引いた。
そうして。
「…俺にも実験してください」
小さな、けれどはっきりした声で…そう、言ったのだ。
驚いたのは類である。
何かを考えているのだろうとは思っていたがまさか、そんな。
「…。…君は、司くんみたいに空を跳んでみたいと思っているのかな?それとも…何か別の…」
跪き、冬弥の白い手を取って…その少し上、ほっそりした手首に口付ける。
「…君だけの、特別な実験をしてほしい?」
目元を緩め見上げると冬弥は顔を赤くしながら、こくんと頷いた。
そう、と笑い、類は冬弥を抱き上げて作業台に乗せる。
「僕は変わり者の錬金術師、っていう役なんだ。…君はどうだい?」
「…」
「…僕に演出されたいなら、役が欲しいところだね」
「…そう、ですね」
唐突な質問だが、冬弥そっと考え、暫く後、ふわりと笑った。
「…神代先輩が最初に呼んでくれた名前が良いです」
「…図書室のお人形さん、だったかな」
「ええ。不本意ではありますが…それが自分に一番合っているような気もして」
「ふうん?」
「それに、錬金術師は対価と引き換えに物質を変化させると聞きました。…神代先輩になら、変えられても良いかな、と」
穏やかに笑う冬弥の、類のものだからか少し大きめのYシャツ…そこから伸びる足に手を伸ばす。
そこには何も身につけておらず…おや、と類は笑った。
まさか、冬弥も同じ気持ちだったのか、と。
「…何も知らない、綺麗なお人形さんに戻れなくなっても知らないよ、青柳冬弥、くん?」
「…元々、綺麗では…ないです。…類、先輩」
冬弥が笑む。
初めて類の名を、紡いで。
綺麗な…お人形のような表情を崩して。
嗚呼彼はやはり素晴らしいと類は笑い、薄い唇をそっと封じた。


雨が降る。


錬金術師は、綺麗なお人形との実験に溺れていった。


(これは、孤独だった錬金術師と綺麗なお人形との恋の話)

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