七夕と髪型変更しほはる

いつも通りの昼休み…だったはず、なのだけれど。
「あっ、志歩ちゃんだぁ!わんだほーい!」
「…っ!鳳さん。今どこから…」
ぴょんっ、と飛び出してきたえむに驚きながら聞けば彼女はえへへ、と笑う。
そうして、志歩の手をぎゅっと握り。
「ねぇねぇ!1-Bの出張ヘアサロンに来てみない?!」


「二人とも何やってんの」
えむに連れられて…彼女の教室に行くのかと思えば更衣室だった…行けばよく知る二人がいて、志歩は呆れたように聞く。
まったく、二人して何をしているのだか。
「あ、志歩ちゃん!来てくれたんだんだね」
「こんにちは、日野森さん」
にこにこと穂波と遥に手を振られ、志歩は小さく息を吐いた。
穂波のお父さんが美容師なのは知っている。
だからといってこれは。
「どうしたの、その髪」
すい、と遥の長くなった髪に手をやった。
穂波が何か言い訳する前に遥が「望月さんがやってくれたの」と嬉しそうに言う。
「実は、七夕配信で浴衣を着ることになってね。その話を鳳さんにしたら髪型も変えたら素敵だねって提案してくれて」
「穂波ちゃんが色んなエクステあるよーって教えてくれたんだよ!それで、エクステの付け方も知ってるって出張ヘアサロンを開くことになったの!」
遥とえむが口々にそう言い、ねー、と笑顔で声を合わせた。
なるほど、いつもと違う髪型をする、ということなら見慣れないロングの髪も納得である。
「ね、遥ちゃん可愛いよね!」
「まあ、桐谷さんはどんな髪型でも似合うよ」
「ふふ、ありがとう、日野森さん」
嬉しそうな遥に目を細めていれば、それを見守っていた穂波が、そうだ!と声を上げた。
「ねぇ、志歩ちゃんも髪を長くしてみない?丁度同じ髪色のエクステがあるの」
「…え、いや、私は…」
「えー!志歩ちゃんの長い髪見てみたいなぁ!」
「私も。日野森さん…ダメ、かな」
断る前に元気なえむと控えめな遥のお願いされてしまい、志歩は諦めたように息を吐く。
そもそも、穂波がやる気なのに断れる訳がないのだ。
「…。分かった。この時間だけね」 
「やったぁ!」
「ありがとう、日野森さん!」
「ふふ、じゃあ頑張るね。志歩ちゃん、座って!」
ほら、と促され先程まで遥が座っていた場所に腰掛ける。
その間に、遥は持ってきたらしい浴衣に袖を通していた。
「うわぁ、すっごく可愛いよ、遥ちゃん!」
「…そう、かな。ありがとう、鳳さん」
「へぇ、似合ってるね」
練習着の上から軽く羽織っているだけだが、淡い青と黄緑の金魚が揺蕩う浴衣は彼女によく似合っていて、志歩は素直にそう言う。
「ふふ、ありがとう、日野森さん。…ちょっとそわそわしちゃうな」
「まあ気持ちは分かるけどね」
「…よし、出来たよ、志歩ちゃん!」
「ん、ありがと、穂波」
はい、と手鏡を渡され、それを覗き見た。
サラリと靡く長い髪。
鏡の中の自分はあまり見慣れず、そわそわするという遥の気持ちがよく分かった。
「日野森さんも似合ってる。何だか格好良いね」
「そう?可愛いよりは嬉しいかな。…ありがとう、桐谷さん」
「わぁあ、長い髪でもとってもとっても格好良いねー!」
「ありがとう、鳳さん。そう言われるとちょっと照れるな」
「でも長い髪の志歩ちゃんも良いと思うな。…桐谷さんの浴衣も素敵だね」
「本当?ありがとう、望月さん。望月さんが素敵な髪型にしてくれたからだよ」
きゃっきゃとそんなやり取りをしながら、咲希がいればもっと色々言われただろうな、と苦笑する。
これはこれで良い体験だけれど、あまり褒められるのは慣れていなかった。
「じゃあ私、そろそろ着替えに…あれ?」
「?どうかしたの、桐谷さん」
笑ってカバンを探っていた遥が首を傾げる。
制服を持ってくるの忘れちゃったみたい、と苦笑いする遥に、珍しいな、と思った。
彼女がそんなミスをするなんて。
「なんだか、七夕様のお話に出てくる天女様みたいだね、遥ちゃんっ!」
楽しそうなえむに三人で首を傾げる。
「え?真面目な牛飼いの彦星と機織りの織姫が結婚したら二人とも遊び呆けちゃってそれを怒った神様がニ人を引き裂いちゃうやつ?」
「ああ、あまりに泣き暮らすから可哀想になった星の子が何とか頼み込んで七月七日に鵲の橋を天の川にかけてもらうんだっけ」
「うーん、それもあるんだけどね。水浴びに来てた天女様が綺麗過ぎて結婚したくなった男の人が羽衣を隠しちゃうんだって!それで、天に帰れなくなった天女様を丸め込んで結婚しちゃうって話があるんだよ!」
「…何その最低な話…」
えむの説明に思わず嫌そうな顔になれば穂波と遥も苦笑いを返した。
まさかよく知る七夕の話以外にもそんな話があるなんて。
「あはは…。…桐谷さんの制服は教室なんだよね。わたし、取ってくるね」
「ごめんね、望月さん。ありがとう」
申し訳なさそうな遥に、気にしないで、と穂波が手を振って更衣室を出る。
「髪はどうするの?」
「うーん、午後の授業このまま出るわけにいかないし、1回外し…」
志歩の質問に答えていた遥がふと止まる。
不思議に思ってそちらを見れば、からりと扉が開いた。
もう戻ってきたのか、なんて思う隙もなく大声が部屋に響く。
「「あぁあー!!」」
「げっ、よりによって…」
「みのり?それに天馬さんも」
指を差していたのはみのりと咲希だった。
みのりはともかく、咲希に捕まると面倒なことこの上ない。
「逃げるよっ、桐谷さん!」
「え?!待って、日野森さん!!」
むずっと遥の手を掴み、志歩は駆け出し、更衣室を出る。
呆気に取られた咲希やみのり、えむを置き去りに廊下を走った。
えむはともかく、あの二人には追いつけないだろう。
さらさらと志歩と遥の長くなった髪が風に靡く。
暫く走り、人目につかない場所まで行って立ち止まる。
「…っと、大丈夫?桐谷さん」
「うん、大丈夫。…ふふ、日野森さん足速いのね。びっくりしちゃった」 
「桐谷さんも。浴衣でここまで走れるんだね。…ああ、浴衣、乱れてる」
くすくす笑う遥に志歩も笑った。
窓枠に座らせ、志歩は跪き彼女の浴衣の裾を直す。
「…はい、出来た」
「ありがとう。…日野森さん、王子様みたい」
「王子はこんなことしないでしょ」
「ふふ、それもそうね」
立ち上がり、遥に手を差し伸べた。
彼女も僅かに微笑み、その綺麗な手を志歩の手に乗せる。
とん、と窓枠から降りた遥が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ほら、髪も乱れてる」
「日野森さんも、ね?」
二人で互いの長い髪に手を伸ばし、ふは、と笑い合う。
こうやって何気ない事で彼女と笑い合えるのは幸せだな、と思った。

志歩は彦星でもないし、遥は織姫でもない。
だから、だからこそ互いの夢を諦めないし、互いの存在だけで弱くなることもない。
互いの夢を知っているから。
たくさんの人に自分達のバンドを知ってもらうこと。
たくさんの人にアイドルとして希望を届けること。
そんな夢がある遥が志歩は好きで、遥もそんな夢がある志歩が好きなのだから。
「…私は、彦星みたいに一年に一度、なんて耐えられないし、ね」
「?日野森さん?」
遥が首を傾げる。
さら、と長い髪が揺れた。
何でもないよ、と笑い髪を撫でる。
「長い髪も良いけど、やっぱりいつもの桐谷さんの方が良いな、と思って」
「…!…私もね、長い髪も格好良いけど、いつもの日野森さんが良いなって思ってたの」
驚いた表情の遥が、嬉しそうに言った。
「…そっか、じゃあ両想いだね」
「うん。…日野森さんと両想いなんだ、嬉しいな」
志歩のそれに柔らかく遥が笑う。
そんな彼女に、本当の想いをきちんと言葉で告げるのは、もう少し先でも良いかな、と思った。

(織姫や彦星と比べて、二人は時間があるのだから!)




「…ごめんね、一歌ちゃんやこはねちゃんと話してたら遅くなっちゃって…あれ?みのりちゃんと咲希ちゃん?えむちゃん、桐谷さんと志歩ちゃんは…」
「えっとねぇ…織姫と彦星になっちゃった…かなぁ……」

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