しずしほはる

「ねぇ、遥ちゃん。この歌詞なのだけれど…」
「ん?なぁに、雫」
姉がひょこ、と顔を出す。
志歩の前で本を読んでいた遥がそちらに向き、微笑んだ。
いつものことだ、と思いながら志歩は課題に思考を戻す。
MOREMOREJUMPというアイドルグループで一緒の遥と雫は以前から仲が良かった。
それこそ、志歩よりずっとずっと前から。
フェニーくんが好きで、仲良くなっただけの志歩とは違う。
勿論、彼女が好きだという気持ちは誰にも負けてはいないのだけれど。
「溺れてく其の手にそっと口吻をした、ってあるじゃない?…それって手のどこなのかしら?」
「…え?」
雫のそれに、遥がきょとん、とする。
驚いてそちらを見れば、姉は静かに微笑んでいて。
その表情を見、志歩は目を見開く。
姉は、昔から好きなものは志歩にも分け与えてくれた人だった。
『美味しいものや綺麗なものはしぃちゃんにもお裾分けしたいの。しぃちゃんが嬉しいなら私も嬉しいのよ』
そう言って柔らかく笑った雫が、それを唯一許してくれなかったのは何だったっけ。
「ほら、口付けによって意味が変わるって言うじゃない?」
「…ああ…。髪の毛は思慕、とか、おでこは祝福、とか?」
「そう!遥ちゃんも知っていたのねぇ!」
「ふふ、昔特集してもらった雑誌の別記事に載ってたの。面白いねって皆で話してたからよく覚えてるんだ」
「そうだったのね。…じゃあ、手にもいくつか意味があるの知ってる?」
くすくすと笑う遥に、雫が微笑みながらその手を取った。
「…雫?」
「手の甲という場所へのキスは敬愛、手のひらだと懇願、指先だと賞賛、手首だと…欲望」
「…ちょっとっ」
「ねぇ、遥ちゃん。『彼女』はどこに口吻したのかしら?」
少し驚いた顔の彼女の手に、雫がキスを落とす前に志歩はその肩を引き寄せる。
ムッとして姉を見ると、雫の方もびっくりしていた。
「…日野森さん?」
「しぃちゃん?」
「…え、あ、ごめん」
パッと手を離し謝れば、遥が肩を揺らす。
「雫が本気でキスすると思ったの?」
「…いや…」
「まあ、そんな事しないわ!あのね、しぃちゃん。こうやって手を持つじゃない?そうして上に来た自分の親指にキスするのよ」
ニコニコと雫が微笑んだ。
楽しそうな彼女はいつも通りの姉だ。
「…そ、うなんだ」
「でも、日野森さんがびっくりしたのも分かるなぁ。私も雫が本当にキスするかと思って驚いちゃったもん」
「あら、遥ちゃんまで!そうねぇ、私から遥ちゃんにするなら手の甲かしら?指先かもしれないわね」
「敬愛と賞賛?ふふ、なんだかくすぐったいなぁ」
遥が綺麗な髪を揺らす。
嬉しそうな遥と…それを眩しそうに見る雫。
敵わないのだな、と思う。
けれど、志歩だって、遥を好きなことには変わりないのだ。
いくら姉であったって、簡単に手放すわけにはいかない。
「…なら、私は手のひらにする」
「日野森さん?」
綺麗な彼女の手を取り、そっと近づけた。
その意味は懇願。
こんなに近い彼女との距離が離れません様に、と。
「しぃちゃんばかりズルいわ!」
「最初にやり始めたのはお姉ちゃんでしょ」
「ち、ちょっと雫!日野森さんも落ち着いて!」
二人に挟まれた遥が慌てたように言う。
こんな遥は珍しい、と思っていれば姉と目があった。
思わず笑い、畳に二人して遥を押し倒す。
「えっ、きゃあっ?!」
「大好きよ、遥ちゃん!」
「ずっと傍にいてね、桐谷さん」
「…もー、二人とも…」
口々に言えば最初は驚いていた遥がふわふわと笑った。


夏。


蝉の声が遠くに聞こえる。


今はこれで良いか、と志歩は人知れずその綺麗な  にキスをした。


(白い肌の少女に囚われているのは、はたして?)

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