しほはる

「志歩ちゃん、どうしよう!遥ちゃんが消えちゃう!!」
「…は?」
バタバタと教室に駆け込んできたのは花里みのりである。
2年になってクラスが別れたはずなのだが…どうしたのだろう。
「あっ、みのりちゃんだぁ!わんだほーい!」
「わんだほーい、えむちゃん!…じゃなくて!遥ちゃんが!!」
隣で一緒に弁当を食べていたえむに挨拶をし…みのりはすぐ我に返った。
「…いや、桐谷さんが何だって……」
「あーっ!みのりちゃん!生配信見てたよー!はるかちゃん、大丈夫だった??!」
と、バタバタと慌ただしく教室に駆け込んできたのは咲希である。
…彼女は職員室へ行ったのではなかっただろうか。
「…待って、どういうこと?」
「訳は聞かないでぇえ!お願い、志歩ちゃんん!」
眉をひそめる志歩にみのりがぐいぐいとドアの方に押していく。
お昼ご飯途中なんだけどな、と思いつつ志歩は駆け出した。
たまには乗ってあげるのも悪くないだろう。
…何が何やら良く分からないけれど。
生配信、というからにはそこにヒントがあるのかな、とそっとスマホを取り出した。
「…え?」
画面には横たわる遥が映っている。
シークバーを戻して確かめると、最初はメンバーと談笑していたのだが何かを食べたすぐ後に、ぐらりと彼女の身体が揺れ、崩れ落ちた。
『ちょっと、遥?!』
『遥ちゃん!!!』
悲鳴のようなメンバーの声が画面から響く。
コメントが目眩く速さで流れた。
『…待って。…遥ちゃん、寝てるみたいだわ』
『…へ?』
『ね、寝てるの??嘘でしょ?』
姉の声に二人が困惑したように言う。
どうやら本当に寝ているだけらしい。
『よ、良かったぁ!』
『もー!皆も心配かけてごめんねー?』
ホッとしたようなみのりの声に愛莉が明るく言った。
そのまま配信は終わりへと向かう。
スマホをポケットに戻し、志歩は再び駆け出した。
きっと何か訳がある。
何かなければ、みのりがあんなに慌てるはずがないからだ。
「…ねぇ、モモジャンの配信見た?」
「見た!桐谷さん大丈夫かな?」
「心配だよね」
「え?でも寝てるだけでしょ?」
「…あんな寝落ちしないでしょ。その後もみのりちゃんたちバタバタしてたし…」
「いや、ああいう演出なんだって…」
ヒソヒソと囁く声がする。
こういうのはあまり好きではなかった。
純粋に心配している声ばかりでないのを、志歩は知っているから。
「最近テレビに出て調子乗ってるからじゃん?」
「前のグループの元ファンがなんかしたんじゃない?」
悪意のある、誰かの声。
何も知らないくせに、と思いながら志歩はその横を駆け抜けた。
…何も、知らないくせに。
彼女が、彼女たちがどんな努力をしているかも知らないで。
「桐谷さん!」
屋上に続く階段を駆け上がり、ドアを開け大声で呼ぶ。
は、と息を一つ吐き出した志歩はそっと彼女に近づいた。
静かな寝息を立てる遥に少しホッとして志歩は彼女の傍に膝をつく。
「…起きて、桐谷さん。迎えに来たよ」
さらりとした髪を持ち上げた。
何だかそんな物語を読んだことがあったな、と思いながら志歩は遥の頬に顔を寄せる。
起きて、と再び囁いた。
いつかの夢を思い出す。
あの時みたいに、彼女を消させたりなんかしない。
ドラマ的な事情なんて…こちらの知ったことではないのだから。
「ストップ、志歩ちゃん!!」
「邪魔しちゃってごめんなさいね」
「?!先輩?!それに、お姉ちゃんまで」
慌てて駆け込んできた愛莉と雫に志歩は目を丸くする。
少し気まずそうな彼女たちはそそくさとカメラを回収し「じゃあ後はごゆっくり!」と去っていった。
そういえば咲希が「MOREMOREJUMP!の生配信が大変なことになってる!」と騒いでいたっけか。
志歩が見ていたところまでなら遥が「寝ていただけ」と分かっているのだから大変だと言わない気がする。
寝た原因が分からないのだから大変だと言っていたと思っていたのだが…。
…もしかして配信が切れてなかったんじゃないだろうか…今までずっと。
それならあの慌ただしさも納得出来る。
出来るが、嵐のような二人に、後でファンの人にとやかく言われたりしないだろうかと志歩は息を吐く。
まあ何とかなるか、と膝枕の彼女に微笑みかけた。
夢現のプリンセスの目を覚まさせる方が先決だ。
「桐谷さんそろそろ時間だよ」
「…日野、森……さん?」
「やっと起きた。…おはよう、桐谷さん」
ふわりと開く瞳に志歩はそう言う。
「…私、寝てたの?」
「そうだよ。…何があったの」
身体を起こす彼女を支えながら志歩は聞いた。
遥曰く、林檎のお菓子を食べていたらふと意識が遠のいたらしい。
前日は早く寝たはずなのに、と思いながらどうしたって抗えず、そのまま崩れ落ちたようだ。
「じゃあ、桐谷さんが眠った理由はわからないんだ?」
「うん…色々重なっただけだと思うんだけど…」
困ったように遥が微笑む。
「無理しないでよ?ファンが心配するし」
「そうだね、ありがとう」
笑みを浮かべた彼女は小さく、楽しそうに肩を揺らした。
「ふふ、日野森さんって王子様みたいだよね」
「何言ってんの。…アイドルに王子様なんていたら不味いでしょ」
立てる?と彼女に手を伸ばす。
そう、遥はアイドルだ。
だから、毒りんごを食した少女のように、白馬に乗った王子が現れることはない。
そんなことをすれば何であったって憎まれてしまうから。
「…私は、桐谷さんの王子様じゃなくて、ちゃんと対等に隣を歩ける人になりたいからね」
志歩は微笑む。



遥は確かに、意識が薄れゆく中、青い海の中で、王子(きみ)を祈った。


そうして、君は、来てくれた。



視界が失せる前に、目を醒まさせてくれた。


「…日野森さん」
「何?桐谷さん」
「…何でもない」


遥は微笑む。
何それと苦笑する志歩に向かって。

…おとぎ話の少女より遥かに幸せだと、二人はそう思った。


「あっ、志歩!遥!」
「志歩ちゃん、遥ちゃん、大丈夫?」
「桐谷さんはともかく、私は大丈夫だけど…え、何」
「ど、どうかしたの?」
「…ええと…ほら、桐谷さんが寝てるところに志歩ちゃんが颯爽と現れたから…王子様みたいだねって……」

戦慄的なデビューを飾ったロックバンドLeo/needの日野森志歩が、国民的アイドルになりつつあるMOREMOREJUMPの桐谷遥の王子様だと噂になるのは…そう遠くないミライの話。

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