ウェディングしほはる
「…ただいま。…って」
「あ、志歩ちゃん!おかえりなさい!」
「みのりってば…アンタの家じゃないでしょ」
玄関を開けた途端、元気なみのりと呆れたような愛莉の声が出迎える。
「えー、でもでもっ!ただいまって言われたらおかえりって返さなきゃ!」
「まあ、それもそうね。…おかえりなさい」
みのりの言葉に考えを変えにこりと微笑む愛莉を見、今日も賑やかだな、と思いながら志歩はもう一度ただいま、と告げた。
「今日も練習だったの?」
「まあね。みのりたちは?配信?」
「ううん!今日は配信の打ち合わせだよ!すっごーく楽しい企画だから、期待しててね!」
「分かった分かった。…って、お姉ちゃんは?」
やる気充分のみのりに苦笑しつつ、そういえばとはたと気付く。
いつも見送りをしているはずの雫がいなかった。
何か二人に渡すものでも取りに行っているのかと首を傾げていれば、愛莉が小さく笑う。
「ああ、雫はね…」
小さくノックをし、志歩はそっと雫の自室の扉を開く。
あら、と雫が嬉しそうに笑った。
「おかえりなさい、しぃちゃん!」
「ただいま、お姉ちゃん」
小声で手を振る雫に、志歩も小さく返す。
なるほど、2人が言葉を濁していたのはこういうことかと思った。
『…まあ、見てもらった方がきっと早いわね』
『あっ、でも静かに、だよ!』
そう言って帰っていった2人を思い出しつつ志歩は部屋に入る。
「これ、こないだの写真。直接返せなくてごめんって、咲希たちからクッキーと一緒に預かってきた」
「まあ。気を使わせちゃったわね」
「大丈夫。クッキーは今日の調理実習で作ったんだ。私も作ったよ。…みんなで1枚ずつ入れてある」
「あら、そうだったのねぇ!嬉しいわ。…そうだ、今日の配信リハーサルでお菓子を作ったの。しぃちゃんの分もあるのよ」
にこにこと雫が言い、こちらに呼び寄せてきた。
「私は味見で食べちゃったけれど…良かったらお茶にしない?晩御飯、今日は遅い日でしょう?」
「…それは嬉しいけど…」
「準備してくるわ。…だから、遥ちゃんをお願いね?」
志歩を先に座らせてから雫が立ち上がる。
部屋には志歩と…遥だけが残された。
きっと気を遣ってくれたのだろうとそっと息を吐き出し、肩に寄りかかる遥の髪をそっと撫でる。
静かな寝息に、本当に寝ているのだろうかと心配になった。
彼女の無防備な姿が珍しすぎたのもある。
そう、遥は雫の肩に寄りかかって寝ていたのだ。
それを座った志歩が抱き寄せ、今の体制になっている。
僅かに上下する肩と、伏せられた瞳に、お人形さんみたいだなぁなんて思いながら志歩は先程雫に返した写真を思い出していた。
幸福の瞬間を切り取った、という彼女の写真はタキシード姿で、隣にはこはねの相棒であるという杏がウェディングドレス姿で写っているそれ。
撮影の経緯は色々あったようだが、志歩は素直に良い写真だと、そう思った。
本当に結婚をする訳ではないからだろうが…それでも、そこに映る彼女たちは幸せに笑っていて、何だか良いなぁと思ったのである。
「…私なら何を撮るかな」
ふとそんなことを思い、志歩は小さく笑った。
バンドのメンバーと練習しているところやクラスメイトの二人とフェニックスワンダーランドに行っているところも、確かに幸せなのだけれど。
「…。…うん、いい写真」
指をファインダーのように構え、志歩は満足するように頷く。
普段は完璧な彼女の、無防備な寝顔。
少し背が高い遥が、志歩の肩に頭を寄せて寝息を立てている、なんていう構図。
何でもない日常が、一番幸せだな、と苦笑していればファインダー越しの彼女と目があった。
「…桐谷さん?」
慌てて手を下ろせばぼんやりした遥が、「…あれ…?」と首を傾げる。
「…私、いつの間に…。…日野森さん?!」
「…おはよ、桐谷さん」
離れる温かさを少し残念に思いながら言えば彼女は綺麗な目をまんまるにしてこちらを見た。
「え、うそ、だって…」
「もしかして、まだ寝惚けてる?」
くすくす笑いながら遥の髪に手を伸ばす。
さら、とした髪に触れれば彼女は恥ずかしそうに笑った。
「…まさか、日野森さんに会えるなんて思ってなくて」
「?私の家なんだから、会えるでしょ」
「そうなんだけど…会いたいなぁって思ってたから、本当に会えてびっくりしちゃって。ちょっと夢を疑っちゃった」
可愛らしく笑う遥は、完璧なアイドルというより寧ろ、ごく普通の可愛らしい少女だ。
彼女がウェディングドレスを着ていなくても、己がタキシードに見を包んでいなくても、幸せの瞬間はすぐそこにあるのだなぁなんて思いながら志歩は笑った。
「私としては、桐谷さんがこんな所で寝てる方がびっくりしたんだけど?」
「…ああ、昨日少し企画を詰めてて寝るのが遅くなっちゃって…。雫が、『もうすぐしぃちゃんも帰ってくると思うからゆっくりして行って?』って言ってくれたから、気が抜けちゃったんだと思う」
「…もー…」
苦笑する遥に、驚いてから志歩は頭を掻く。
「?日野森さん?」
首を傾げる遥に、志歩はどうしようかな、なんて思いながら、小さく息を吐いた。
まだ言わなくて良いか、と思いながら、「何でもないよ」と笑ってみせる。
奥のキッチンからと同じものだろうか、彼女から甘い匂いが、した。
幸せの瞬間はすぐそこに。
瞬きをし、志歩はゆっくりとシャッターを切った。
「不思議だよねー。志歩ちゃんも遥ちゃんもお互いあんなに好きなのに付き合ってないんだから!」
「まあ、それも時間の問題でしょ。っていうか、みのりはそれで良いの?」
「えっ、だって志歩ちゃんも遥ちゃんも大好きだもん!大好きな人には幸せになってほしいのは当然かなぁって!」
「…アンタって本当、ファンの鑑よねぇ…」
司冬ワンライ/○○しないと出られない部屋
「…ん…」
ぼんやりと目を開き、司は身体を起こそうと目をこする。
次第に意識がはっきりしてくると同時に、部屋の中の様子がおかしいことに気が付いた。
「…ん??」
明らかに自分の部屋ではない。
寧ろ見たこともない部屋で、司は勢い良く身体を起こした。
「…なー?!!どこなんだ、ここは!!」
「…司先輩?!」
叫ぶ司に、呼応する声がある。
振り向けば愛しい恋人である冬弥が心配そうにこちらに駆け寄ってきた。
「冬弥?!何故ここに!」
「分かりません。俺も目覚めたらこの場所にいて」
「む、冬弥もそうだったのか。して、この部屋はなんなんだ…」
困った様子の冬弥に司は考え込む。
見たところ、何の変哲もない部屋だ。
ベッドが一つ、他には何もなく、壁から天井から全て真っ白である。
不思議なのは扉もないことで、誰がどうやって閉じ込めたんだ、と首を傾げた。
急にこんな場所に飛ばされるなんて、セカイでもあるまいに。
「見たところ扉もなさそうだし…。…冬弥?」
「っ、え?」
壁を見つめながら話しかければ冬弥がびくっと肩を揺らした。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
「…いえ。……何も」
「そうか?なら良いんだが…。無理はするんじゃないぞ」
「はい、ありがとうございます。司先輩」
冬弥がふわりと微笑む。
相変わらず可愛いなぁと司も笑った。
「よし、ではもう少し調べてみるか」
「…そう、ですね」
よっとベッドから降りて壁を触る。
特に何の変哲もない壁だった。
何の変哲もない、ということは扉もない、ということである。
「…司先輩!」
「うぉっ?!どうした、冬弥?!」
急に冬弥が大きな声で呼んでくるから何かあったのかと大急ぎで彼のそばに向かった。
見たところ何もなさそうで安心する。
「何かあったのか?」
「いえ、違うんです。その…歩き回るのは危ないかもしれないと、思って」
「ふぅむ、確かに一理あるかもなぁ」
冬弥のそれに頷けば彼はホッとしたように微笑んだ。
その表情に一瞬首を傾げたが気のせいか、とベッドに腰掛ける。
「ならば、今後の対策でもするか!…時間経過でどうにかなるかもしれんしな!」
「…はい」
明るく笑う司に、冬弥も柔らかい笑みを浮かべた。
司は知っている。
扉はとうに開いていることに。
司は知っている。
冬弥がわざと壁から遠ざけたことに。
ポケットにいつの間にか入っていた紙の内容を思い出し、さていつ言うかなぁと司は小さく笑みを浮かべたのだった。
(真面目で可愛い恋人の、嘘と迷いと言えない本音で揺れている様をもっと見ていたいだなんて、部屋から出る条件を満たしてはいないだろうか?)
(だってここは、『愛されている』と感じないと出られない部屋!)
司冬ワンライ・体育祭後夜/冷めやらぬ熱
無事に体育祭も終わり、司はごろりとベッドに横たわった。
襲うのは気持ちの良い疲労感。
ショーをするのとはまた違った熱量で臨んだそれはこれからの糧となるだろう。
「…良い、経験だったな」
自然と微笑み、司はスマホを見た。
…と。
「…電話…冬弥か」
急に鳴り出した愛しい人からの着信に身を起こし、通話ボタンをタップする。
「もしもし?冬弥か?」
『はい。遅い時間にすみません。今、大丈夫でしょうか?』
「ああ、構わないぞ!どうかしたのか?」
『いえ。…今日の応援合戦は、素晴らしいものだったと…思いまして』
柔らかい声が耳に響いた。
どこか、熱を帯びたそれに司も笑う。
「先程直接、たくさん感想をくれたのにまだ言ってくれるのか?」
『はい。伝えても、伝えきれていない気がするんです。言いたいことが次から次へと湧いてきて…。…クラスメイトからは敵チームだと何度か釘を刺されてしまいました』
「そうか。…冬弥のことも応援出来ていたなら、良かった」
司の声に冬弥が不思議そうな声を出した。
どうかしたのかと問えば彼は『先輩からはいつも応援の気持ちを頂いていますが…』と答える。
「うん?」
『ああ、でも、特別な応援、という感じはしましたね。やはり、体育祭だからでしょうか』
何やら嬉しそうな冬弥に、司も肩を揺らした。
バフン、とベッドに横たわり、思わず笑ってしまう。
なるほど、彼もまだ熱が冷めていないようだ。
『…?司先輩?』
「いや!冬弥も、体育祭を楽しめていたなら良かったと、思っただけだ」
不思議そうな彼に司はそう返す。
考えてみれば冬弥にとっては初めての体育祭なのだ。
きっと楽しくて楽しくて、眠れないのだろう。
なら、今夜はとことんまで付き合おうと思った。
何せ、司の熱も、冷めていないのだから。
「なあ冬弥。今日の楽しかったことを沢山聞かせてくれ。お前が楽しいと思ったその感情を、オレも共有したい」
『…!…はい、是非』
嬉しそうな冬弥の声が耳に響く。
文化祭には後夜祭があるというのに、体育祭にはないなんて、そんなこともないだろう?
年に一度の体育祭はまだまだこれからだ。
『ところで、玉入れがあんなに難しいとは思わず…。…やはり俺は』
「玉入れは案外難しいぞ?!それに、冬弥は初めてだからな!!」
続 お誕生日会議!
「…よぉ、冬弥」
「…彰人」
朝一番、前を歩く冬弥に声を掛ければ彼はふわりと微笑んだ。
いつもの朝、いつもの通学路だ。
だが、今日は。
「…ん」
「え?」
カバンの中から小箱を取り出し、彰人はそれを彼の前に差し出した。
「…これは」
「まだ見んなよ。…開けるのは後、な」
小さな箱のリボンに手をかけようとする冬弥を止め、その手を取る。
「…彰人?」
「…誕生日だろ、今日」
首を傾げる冬弥にそう言えば、ややあってから彼は笑った。
「…プレゼント、か」
「…まあな」
嬉しそうな冬弥に、それだけじゃねぇけど、という言葉は飲み込み、代わりにその指に口付ける。
少し柄ではないな、などと思いながら。
「…!」
「誕生日おめでとう、冬弥」
「…ありがとう、彰人」
(その、幸せな表情が見れただけで、幸せだ)
「冬弥!」
司が手を振る。
その声に姿を認めた冬弥が僅かに手を振り返した。
「…司先輩」
「すまない、待たせてしまった」
「いえ、大丈夫です」
首を振る彼に司もホッとする。
隣に座り、作ってきた弁当を開けた。
「…!これは」
「今日は冬弥の誕生日だろう?一緒に食べようと思って作ってきたんだ」
「ありがとうございます、司先輩」
冬弥がふわ、と笑う。
相変わらず綺麗な笑みだ、と思った。
「…そうだ、それから」
司はカバンを探り、小さな箱を取り出す。
驚く彼に手渡し、まだだぞ、と己の手を被せた。
「サプライズプレゼントだ。…放課後まで取っていてほしい」
「…はい」
微笑む彼に司は頷き、手を離す。
そのままその手を髪に持っていき、キスを落とした。
「…誕生日おめでとう、冬弥」
「ありがとうございます…司先輩」
(微笑む彼は、幼い時のままで。暖かい気持ちになった)
類は図書室の扉を開ける。
その姿を認め、類は手を挙げた。
「やあ、青柳くん」
「神代先輩!」
カウンターにいた冬弥がパッと表情を和らげる。
可愛い人だな、と類は笑い、扉を閉めた。
「どうかしたんですか?」
「なぁに、今日は君の誕生日だろう?ほら、誕生日プレゼントだ。仲間たちと共に、楽しく開けてくれたまえ」
「…!ありがとうございます」
大きなプレゼントボックスを渡せば、彼は嬉しそうに微笑む。
これが危ないものではないと分かっているからだろう。
「青柳くんは音に敏感だと聞いたから、クラッカー系は入れていないよ。…クラッカー系はね」
「他の仕掛けがあるんですね。…楽しみにしておきます」
冬弥がにこりと笑った。
もう少し驚かせたい、と類はカバンを取ろうとする彼の手を取る。
そのまま彼の手首に口づけた。
「…っ?!」
「ふふ、驚かせたかな。お誕生日おめでとう、青柳くん」
パチン、とウインクをした類は彼の手に小箱を置く。
「これを開くのはまだ後だよ。楽しみにしていてほしい」
「はい。…あの」
冬弥が類を見上げる。
類はその言葉を聞いて、ああ、と微笑んだ。
「…ありがとうございます、神代先輩」
(少ない言葉でもわかる、自分の演出が成功したのを!)
「…と、いうのはどうだい?」
「どうだい、じゃないが??」
「抜け駆けはなしっつったんですけど?」
ぴっと人差し指を出す類に、司と彰人が言った。
おや、と笑う類は、提案を却下されているにも関わらず、残念そうな素振りもない。
「最初に抜け駆けをしたのは東雲くんではなかったかな」
「…ぐっ…」
にこにこと突っ込まれた彰人が悔しそうに黙り、確かになぁ、と司は上を向いた。
「ちなみに、司くんも僕より先に抜け駆けした時点で同罪だよ?」
「何ぃっ?!」
「つうか、そーいうのは駄目だっつったじゃないスか」
「なっ、彰人も変わらんだろう!」
「司センパイよりマシだっつー…」
わあわあと言い合う(主に司が)2人に、やれやれと類は肩を竦める。
と。
「…あの」
す、と綺麗な手が上がった。
全員でそちらを見れば、戸惑ったような冬弥がいて。
「…何故俺はここに呼ばれたのでしょうか?」
首を傾げる冬弥に、ああ!と司が口を開く。
「誕生日会の主役は冬弥だろう?去年はある意味失敗だったからなぁ。今年は、もっと素晴らしいパーティーにしたい。だからこそ、主役であるお前にも意見を聞きたいんだ」
「…司先輩」
自信満々な司に、冬弥はふわ、と微笑んだ。
そんな彼に小さな声で彰人が「…オレは止めたからな」と囁く。
「そう、なのか?」
「普通は誕生日の主役にパーティーの内容を聞かせはしねぇだろ」
「ふふ、僕は面白い試みだと思うよ?」
呆れた表情の彰人に、類は楽しそうだ。
予想もつかない司の発想は割と楽しいらしい。
「はーっはっはっは!そうだろう?!類ならそう言うと思っていたぞ!」
「信じてもらえていて嬉しいよ、僕らの座長さん?」
「いや、会議しろよ」
楽しそうな先輩2人に、彰人が心底疲れた声で突っ込んだ。
冬弥が小さく笑う。
「そういや、冬弥はどれが良かったんだよ」
「…え?」
そんな彼に彰人が問うた。
首を傾げる冬弥に、司も類もうんうんと頷く。
「そうだな!冬弥、冬弥はどれが良かったんだ?」
「僕も聞いてみたいね、青柳くん」
3人に聞かれ、冬弥は少し考え込むように下を向いた。
そうして。
「俺は…全て良かった、と思います」
「ん?」
「お?」
「は?」
まさかの回答にぽかんとする3人に、冬弥は目を細める。
「彰人といつも通り登校する朝も良いし、司先輩とのお昼も良かったです。神代先輩と過ごす放課後も良かったですね」
「…つまり…」
「…なるほど。青柳くんは、意外と強欲、という訳だ」
「そう言うことになりますね」
類の言葉に冬弥はにこりと笑った。
その様子に思わず司と彰人が顔を見合わせ、息を吐く。
「…ったく、それでこそオレの相棒、だな」
「まあ良いではないか!冬弥が望むのであればオレは全力で叶えるぞ!」
「勿論、僕も大歓迎さ」
類もにこりと微笑み、司や彰人と共に冬弥に向かって手を差し出した。
なんといっても大切な、年に一度、青柳冬弥の誕生日!
その為ならば、何だって!!
(毎年恒例になりつつある、本日お誕生日会議!)
「…あ、会議のお茶請けにクッキーを作ってきたんだが…」
「…へぇ…美味そ…って、待て、冬弥が??」
「青柳くん、甘いものは苦手では……?」
「そもそも、冬弥は料理できたのか?!!一番のサプライズなんだが!」
司冬ワンライ・キスの日/恋文の日
いつもの朝だった。
…下駄箱前で靴を履き替えるまでは。
「…これは」
上靴の上に封筒が置かれていた。
なんだろうかと手に取れば天馬司様と書かれたそれは差出人不明の手紙のようで。
「…おや、ラブレターかい?」
「おわっ?!類!」
ひょこ、とのぞき込んできたのは類だった。
何だかにこにこと楽しそうである。
「…ラブレターとは限らんだろう。果し状という可能性もある」
「…ラブレターの方がマシじゃないかい?」「すまん、オレが悪かった」
類に突っ込まれ、すぐに謝った。
果し状とラブレターならラブレターの方が幾分かはマシであろう。
「ファンレターなら嬉しかったんだがな」
はぁ、と司は息を吐く。
そんな司に、類がいつものように笑った。
「おや、ラブレターは嬉しくない?」
「好意を持たれているのは嬉しいぞ?だが、オレには恋人がいるからな」
靴を履き替え、封筒を開ける。
好きだと言われるのは良いが、司にはずっと好きな人がいる。
長年無自覚片想いだったがこの度無事に両想いになったのだ。
一生大切にすると誓ったし、その想いは増すばかりだ。
そんな恋人がいるのに、ラブレターの相手に期待させるのも拙かろう。
…と。
「…む?」
「…おや」
中身を取り出し、一読した司は固まり息を吐く。
首を傾げた類にそれをちらりと見せれば彼は笑った。
「可愛らしい恋文じゃあないか、司くん」
「…まあ、そうだな」
類のそれに司は頷き、カバンの中に入れる。
『親愛なる司先輩 本日は恋文の日ということでお手紙を差し上げました』から始まる綺麗な字。
封筒の字では気づかなかったが、これは恐らく。
自分の教室に入ろうとする類に、そんな訳だから、と笑えば彼も頷いた。
理解ある友人であったのは幸いだろう。
手紙の最後、『彼』からの謎を解明し、司は約束の場所へ向かわなければならないのだから。
「…失礼する」
カラリ、と扉を開ける。
「…!来てくださったんですか」
カウンターに座っていた彼が嬉しそうに言った。
当たり前だろう、と司は手紙を見せる。
「5月23日の謎を解き、いつもの場所でお待ちしています、などと締め括られれば行くしかあるまい?…なあ、冬弥」
そう言って司は彼…冬弥に微笑みかけた。
彼からの恋文には小さな謎が隠されていたのである。
「5月23日、恋文の日とは別にある記念日、それがどうしてもほしいとのことだが…さて」
冬弥の手を取り、するりと指を絡ませた。
先ずはどこにほしいんだ、と囁く。
「…っ、先輩」
「謎解きにはそれは書いていなかったからなぁ。冬弥は執着、愛顧、憧憬、依存、親愛…どれが欲しいんだ?」
「…司先輩から頂く『愛』ならなんでも」
ふふ、と冬弥が微笑んだ。
全く可愛らしい顔をして、と苦笑しながら司は…冬弥の○○にキスを、した。
彼が望むならなんだってしてやるさ。
恋文に想いを認めるほど、望んでくれているのだから!!
(みんなはわかったかな?
さあ、今日はなんの日??
今日は…)
彰冬
「…彰人はすごいな」
突然冬弥に褒められて、彰人は眉をひそめながら振り向く。
褒められて嬉しくないわけではないが、理由がわからないからだ。
無論、彼の言葉に裏はないのだろうけど。
「なんだよ、急に」
「いや、この前の体育祭でも活躍していただろう?…俺には難しいからな」
「…ああ」
冬弥に言われて思い出す。
借り物競争で1位になった彰人とは違い、冬弥は玉入れで撃沈していたからだ。
杏が投げているのを見てイメージはしていたらしいが…アウトプットが難しかった、と悔しそうにしていた。
その後の「…青柳くんから運動音痴か聞かれたんだけど、半運動音痴って答えた」という寧々(が言っていたと司から聞いた)の発言から相当気にしていたのだろう。
彰人たちに聞きに来なかったのは冬弥らしい、と思った。
「…体力ねぇ訳じゃないんだけどな…」
「?彰人?」
「んや、別に」
小さな言葉は彼の耳には届かなかったようで、彰人は取り繕うように笑う。
ともすればこれはセクハラだ。
「ダンスは練習すりゃ出来んだから、球技も出来るだろ。実際、羽つきは出来んだから」
「あれは、彰人が教えてくれたからだ」
「なら、筋は良いってことだろ。…それに」
手に持っていた飲み物を煽る。
スッキリしたスポーツドリンクは喉の乾きを潤した。
「冬弥が得意なことはオレが苦手だったりするし。…だからこそフォローしあえりゃいいんだよ。相棒なんだから」
「…!」
笑みを向けると冬弥は驚いた顔をする。
ややあって冬弥は小さく笑った。
「…ああ、そうだな」
「だろ?…なぁ、そういや数学の抜き打ち小テストって…」
「…。…彰人」
「…わーったよ」
抜き打ちの小テストの範囲をこっそり教えてもらおうとしたのだが、それは駄目だったらしい。
先程の表情とは打って変わって眉を寄せるから彰人はホールドアップの態勢を取った。
怒れるにゃんこは何とやら、だ。
「一夜漬けをしなければ良い成績になるだろうに」
「そりゃ、そうだけどよ。…やる気がなぁ……」
空を仰ぐ彰人に、冬弥は首を傾げる。
「やる気が上がれば、良いのか?」
「ああ?…まあな」
彼の疑問に、それはまあそうだろう、と彰人は頷いた。
原動力があれば何でも良い…訳でも、ないのだけれど。
「なら、カイトさんからパンケーキの作り方を教わってくる」
「…は?」
「その間、彰人はしっかり勉強していてくれ」
「待てって、冬…!」
ふわ、と微笑んだ冬弥がセカイに『逃げる』。
「…期待しているぞ、ダーリン」と、囁いて。
「…やってやろうじゃねぇか」
彼を手を掴みそこねたそれを握りしめ、彰人は呟いた。
その背に見えない炎を背負って。
煽られたから、乗りました。
それってセカイの摂理だ、そうだろ?
(パンケーキも、作った本人も、本気になった彰人に美味しく頂かれるのはまた別のお話!)
SeeYouMyJK!
ホントにそれは「常識」?ホントにそれは「当然」、「当たり前」?
「正義」に偽装された「悪意」をかいくぐり、めざすは消失でも終焉でもなく新世界!!
「…なんだ、これ」
本屋の前、そんなポップを目にして彰人は思わず呟いていた。
表紙には黒いメガネに学校制服姿の、バーチャルシンガーの初音ミクによく似た少女が踊っていて。
帯には『新感覚、爽やか絶望系ミステリー!』とあり、盛りすぎでは、と彰人はぼんやりと思う。
「…すまない、待たせ…彰人?」
「ん、おお」
本屋から出てきた冬弥は買ったらしい本の袋を抱え、首を傾げた。
彰人が本に興味を示しているのが珍しいようだ。
「何か面白い本があったのか?」
「いや、面白い本っつうか…これなんだけどよ」
とてとてと近づいてくる冬弥にその本を見せる。
彼は知っていたようで表紙を見ただけでああ、と笑った。
「最近人気らしいな。俺も少し読んだが…普段読まない人がミステリー導入編にするには良いだろうな、と思う」
「へぇ、じゃあ冬弥には簡単だったってことだな」
「…そうだな。だが、ミステリーとしてではなく、ただの読み物としてならとても面白かった」
楽しそうな冬弥に少し興味は湧いたが、彰人はその本を棚に戻す。
実際に本を読むより、冬弥の感想を聞いている方がずっと楽しいからだ。
「なら、その話の感想を詳しく教えろよ」
「…自分で読んだほうが良いんじゃないか?」
「オレは読んですぐ眠くなる小説をわざわざ買うより、冬弥の感想を聞く方が有意義だと思ったんだよ」
「…物は言いようだな」
彰人の言葉に冬弥が肩を揺らした。
それから、強いて言うなら、と上を向く。
「…主人公が、俺に似ていると思った」
「あ?」
唐突なそれに彰人は少し眉を寄せる。
冬弥のとんでも発言は慣れてはいるが…さて、どういうことだろうか。
「もうちょいオレに分かるように話せよ」
「ああ、すまない。…実は、表紙の少女は主人公ではないんだ」
「…マジで?」
「ああ。もう1人少女がいる。その子は自分に自信がないんだ。ある時、世界が突然終幕を迎えると言われた。世界は大パニックに陥ったが表紙の少女は主人公の手を引き、旅に出る事にしたんだ」
「…あー。それで新世界、か」
あらすじを紹介してくれる冬弥に見たばかりのポップを思い出す。
彰人の言葉に冬弥もこくりと頷いた。
「世界を終幕に導いたのはたったひとつのラフな歌。少女たちはその歌を胸に新世界を目指して歩んでいく。固定された常識を捨てて、自分たちが当たり前に信じてきた当たり前を壊して。…自分たちが選んだ歌を胸に、常識空間にさよならを告げ、未来に手を伸ばすんだ」
「…確かにそれだけ聞きゃあミステリーっつうか冒険譚寄りだな」
彰人の感想に、冬弥が「確かにそうだな」と笑う。
「んで?冬弥はなんで主人公に似てるって?」
笑う冬弥は可愛いが、とんでも発言には触れておらず、彰人は首を傾げた。
ああ、と冬弥が微笑む。
彰人が大好きな、その微笑みで。
「主人公は、たったひとつのラフな歌によって表紙の少女と出会った。自分の常識が…自分を縛っていたものが一夜にして壊れてしまったんだ。…何だかそれが、彰人と出会った時のことを…思い出してしまって」
「…オレと?」
「ああ。…クラシックが嫌で一度全て捨て去った俺に、大事なものを思い出させてくれたのは彰人だ。…俺が歌っていたから、彰人が俺を見つけてくれたから、こうして出会えた」
一言一言を噛みしめる冬弥に、彰人は何も言えなかった。
彼が彰人との出会いを大切にしているのは知っていた。
だが、そこまで言ってくれるなんて。
「クラシックという『常識』は、セカイの常識ではないと知った。…彰人はいつも一緒に考えて選んでくれる。それが嬉しい」
「…ったく、お前は!」
「…わっ?!」
優しい笑みの冬弥を引き寄せてわしゃわしゃと頭を撫でる。
何だか妙に気恥ずかしかったのだ。
「オレは、冬弥とだから常識を壊そうと思えたんだよ」
「…!」
「限界を打ち破って伝説を超える、オレの夢に最初に賛同してくれたのはお前だろ。…冬弥」
「…ああ。その通りだ」
彰人の言葉に冬弥が頷く。
たったひとつのラフな歌から、二人は始まったのだ。
きっと、きっと伝説を超えるために。
ありきたりな世界なんかじゃない、目指すのは…壊れた常識の向こう側。
「きっと超えよう。伝説の夜を」
「当たり前だろ。…行くぞ、相棒」
2人はニッと笑い合う。
冬弥と一緒なら、どんな世界だって怖くないと、そう思えた。
「そういや、冬弥は何買ったんだよ?」
「ああ、夏が嫌いな少女が踊るたぬきと夏に関するあれこれに巻き込まれていくハチャメチャミステリーらしい。…今度ワンダーステージでショーをするそうだ」
「…へぇ……。…なんて???」
雨とさよならの向こう側で
「…なんでなんだよ……」
はぁあ、と息を吐き出す。
ソファに体を沈みこませて彰人は目を腕で隠した。
頭がぼんやりするのは低気圧のせいかそれとも。
現実逃避をしようとしても彼のあの顔が頭から離れない。
ソファから立ち上がれなかった。
いつだって彼が手を掴んでくれたのに。
…冬弥と、喧嘩をした。
今までそんなこと一度だってなかったのに。
雨も降っていなかったのに彼の頬は雫で濡れていた、気がした。
きっと、そうだったら楽だと…思ってしまったのだろう。
何か訳があったから。
だから冬弥は彰人にさよならを告げた。
耳にこびりついて離れない別れの言葉を無理に押し込んで、とっくに治ったはずの痺れた手のひらをぼんやり見つめる。
冬弥を、殴ってしまった。
だって、彼があんな。
「…くそっ」
思い出せば思い出すほどに疑問しか湧かず、彰人は寝返りを打った。
雨が降った時のグラウンドを思い出す。
酷い泥濘で前に進めない、そんなもどかしさを。
失って初めて気づいた感情に、彰人はまた息を吐く。
こんな感情、歌詞にしか出てこないと思っていたのに。
だが日々は進む。
伝説を超えると誓ったのは誰だった?
パタパタと窓の外で音がした。
ついに降り出したらしい。
それはそれで良いと思った。
雨のせいにすれば、目元が濡れていたって気にならないだろう。
じわりと、暗闇に堕ちていく。
いっそ雨を爆破してしまえばこの感情も消えてくれるだろうか、なんて彰人は自嘲した。
「…雨なんて、いらねぇな」
ぽつりと呟く。
その言葉は降り出した雨の音にかき消された。
「…彰人?」
「……おー…」
彼の柔らかい声に彰人は意識を浮上させる。
どうやら眠ってしまっていたらしかった。
「…わり。寝てた」
「どうした?寝不足か?」
「んや。…早かったな、委員会」
心配そうな彼にひらひらと手を振り、彰人は身を起こしながらそう言う。
今日は業務報告だけだった、と言葉を紡いでいた彼がきょとんとしてこちらに手を伸ばしてきた。
「あ?どうした?」
「いや。…彰人が悲しそうに見えたから、どうしたのかと」
頬にひたりと触れてくる冬弥に、驚きながらも彰人は笑う。
「流石、冬弥には隠し事出来ねぇな」
「…!何かあったのか?」
とても心配そうな冬弥に、彰人は心配するな、と言った。
「…お前と喧嘩した時の夢をみたんだよ」
彰人のそれに冬弥は目を見開く。
そうか、と言葉を詰まらせる彼に彰人は「心配すんなっつっただろ」と言ってやった。
「体育祭の練習とかで離れてる時間が多かったろ。…だから思い出したんだよ、きっとな」
「…トラウマか?」
「はぁ?…当たり前だろ。あの時は本気で冬弥が居なくなるかと思ったのに」
「…それは…すまない」
しゅんとする冬弥を引き寄せる。
ちゃんといるだろ、というように。
「謝るなよ。…冬弥だって同じ想いしたくせに」
「…それは…」
彰人の言葉に冬弥は珍しく歯切れの悪い言葉を返す。
「?なんだよ、言えよ」
それに違和感を覚えつつ促せば、困ったように彼は口を開いた。
「…この寂しさは、彰人を傷つけてしまった罰だと…思っていた」
「……はぁあ?!!」
紡ぎだされるそれに彰人は素っ頓狂な声を出す。
何を、そんな。
「…おまっ、ホント…」
「…すまない」
「…ったく、んな顔すんなよ」
落ち込む彼に何だか逆に清々しくなって彰人は笑った。
自分からさよならを告げてきた彼は、彰人を思ってずっとずっと苦しんでいたのだろう。
全く、やはり雨を爆破するべきだった。
冬弥にそんな顔をさせてしまうなんて。
「…あの喧嘩があったからこそ、オレたちは強くなったんだろ」
「…彰人」
「過去をなかった事にしようとはしねぇよ。…その代わり、二度と勝手には離れさせねぇけどな」
立ち上がり、彰人は冬弥に手を伸ばす。
ああ、と頷いた冬弥がその手を取った。
笑い、その奥の太陽の光に目を眇める。
雨が降らない、この世界で。
泥濘がない路を、冬弥と二人歩いていく。
取り戻した光を、バッドエンドにはさせやしない、と彰人は口角を上げた。
(悲しみをもう一度抱きしめたいなんて滑稽な叫びはしないから
お前からのさよならは、追憶の奥深くに!)
二人きりの真白なセカイより愛の音を(彰冬)
君たちは知っているかな
クラスメイトから聞いた?
中学の友だちから聞いた?
お姉さんから聞いた?
先輩から聞いた?
こんな不思議な噂話
…有り触れた世迷言
「誰もいない、Untitledに建つ時計台の上でry」
どこにでも転がってそうな幸せを運ぶジンクス
『廃都アトリエスタにて、永遠の愛を誓う』
「…なんだよ、それ」
それを聞いた瞬間、彰人が嫌そうな顔をする。
だからー!と机を揺らしたのは杏だ。
「Untitledにはね、ミクがいないセカイもあるんだけど、そのセカイには時計台があってそこで愛を誓うと幸せになれるんだって!」
わくわくした目でそう言う杏に、興味なさそうに彰人は息を吐き出す。
「…くだんねー…」
「くだらないって何よー!」
「まあまあ、杏ちゃん」
頬を膨らませる杏を宥めるのはこはねだ。
「…彰人」
後ろから困った顔で声をかける冬弥に、なんだよ、と彰人が睨む。
「そういうのは女子だけでやれっつー…」
「はっはぁん、実は試す自信がないんでしょ?」
「…は?」
杏のそれに彰人が凄い目を向けた。
こはねが焦った声を出す。
「杏ちゃん!」
「要は、彰人はこのおまじないを試す勇気がないんだぁ?じゃあ二人で行こー、こはね!」
「…え、えぇ?!今から?!」
「膳は急げ、よ!」
わたわたするこはねを引っ張っていく杏と、驚きながら着いて行くこはねを見送りながら、冬弥はそっと彰人を見た。
ここまで言われて黙っている彰人ではないことを、冬弥は知っている。
「退屈しのぎには丁度良いんじゃねぇか?なあ、冬弥」
「…そうだな」
カタン、と音を立てて立ち上がる彰人に冬弥は頷いた。
長い一日になりそうだ、なんて思いながら。
「…マジか」
何も無い場所、なんて中々繋がらない。
二人で何度か試してみてようやっと繋がったのは吐く息白い朝のことだった。
雪の街、といったほうが良さそうなそれに彰人は辺りを見回す。
人っ子1人居ないセカイの中で、ぽつんとそびえ立つ建物があった。
ぞわぞわと背に泡立つ感覚は、興奮とかそういうものだろうか。
「おい、あったぞ、冬…」
弥、と繋げようとして、彼の表情が強張っているのをみた。
そういえば、冬弥は高いところが苦手だったかと思い出す。
「…別に、上まで付き合わなくていいぞ。あった事が分かっただけで杏は満足だろ」
ポリポリと頭を掻けば冬弥はふるふると首を振った。
「…ここまで来たんだ。おまじないを試さないのも…おかしいだろう」
「…けどよ」
「試してみるだけだ」
意外にも頑なな冬弥に息を吐く。
こうなった彼は頑固なのだ。
そういうところが…可愛いと思ったり思わなかったり。
「…無理になったら言えよ」
「…分かった」
肩を寄せ合って手をつなぎ、入り口に足を踏み入れる。
中はがらんとしていて、意外だな、とさえ思った。
「…まー、テンションは上がるわな」
「そう、だな」
強引に同意を得て天辺を目指す。
ぐるぐると螺旋階段を登るのは根気の要る作業で。
一体何をしているのだろうと我に返りそうになった。
ここで正気になれば、頑張っている冬弥があまりに可哀想だ。
…まあ彼が登ると言い出したのだけれど。
「…前だけしっかり見てろよ」
「…分かっ、た」
ぎゅうと左手に込める力が強くなったのを感じて苦笑しつつ、ふと白いものが視界を掠める。
「…雪、だ」
「…!」
ついに降り出したそれに、彰人は登ることを諦めた。
強くなる雪は下手をすれば足を踏み外し、滑り落ちる可能性もある。
何より冬弥が限界そうだ。
…それに。
かつて誰かの思いで賑わったであろうセカイを覆う白銀は、確かに綺麗な景色だった。
天辺ではないかもしれない。
それでも、冬弥と共に見られるのなら、白いキャンパスに描くものが同じと知っているそれが彰人にとっては一等綺麗だと言えた。
…それは、きっと冬弥も同じ。
唐突に鐘の音が響いた。
錆びついて鳴らないだろうと思っていた時刻を告げる時計台がセカイ中に音を紡ぐ。
その音はまるで、自分たちを祝福しているかのようで。
「…彰人」
「…ああ」
珍しく積極的な彼の、すっかり冷たくなった頬に手を添える。
誰かの世迷言だって本物に変えてやると。
未来は、自分たちの手で掴むんだと。
…幸せは、次の幸せへと紡ぎ、大きな愛になるようにと。
重なる唇でそっと呟く、その言葉は。
『廃都アトリエスタにて、永遠の愛を誓う』
R18を超えていけ!(彰冬)
「…なあ、ミク。この歌詞なんだが…」
「はいはーい。えっとねー」
いつものセカイ、いつものMEIKOの店で、割と珍しい光景が繰り広げられていた。
ミクと冬弥がこちらに気付くこと無く話し込んでいる。
普段はどちらかが気付くものだが…。
ここでイタズラ心がむくむくと湧いた。
少し、ほんの少しだけ脅かせば彼はどんな顔をするのだろう。
そぅっと背後に回り…冬弥が持っている楽譜のタイトル部分が目に入った。
それに目を見開く。
「…冬弥っ!」
「っ?!彰人?!」
思わず大声で呼び、目を見開いて振り仰ぐ冬弥に、ああそんな顔をするのかと思う暇もなかった。
だって、そのタイトルは。
「R-18ってなんだよ!!」
「…は?」
彰人の渾身の叫びに、冬弥がぽかんとした。
R-18、匂わせるなんてこともない、モロにそのままなタイトル。
どこで歌うつもりだったかは知らないがそんなことは許さない。
そんな、誰が、オレの冬弥にそんな歌詞を紡がせてやるものか…!
そう息巻く彰人とは正反対に冬弥は呆れ顔だ。
ミクがくすくす笑い、彰人の袖を引っ張る。
「…あのね、これ…『ルート18』って読むんだよ?」
「…タイトル詐欺じゃねぇかよ…」
はぁあ、と彰人がため息を吐く。
まさかの、国道18号線を自転車で走る歌、だとは誰が思うのだろう。
「…反省したか」
と、冬弥が呆れ顔でやってきた。
歌詞の件はもう良いらしい。
流石に暴走しすぎだと珍しく冬弥から怒られ、反省しろと言われたのだ。
普段は勉強以外でそんなに厳しくなることもないから余程のことなのだろう。
あのミクが「私は気にしてないし、誰にも言わないから」と言う始末である。
傍から見ていて相当哀れだったに違いない。
「はいはい、反省しましたー。…んで?今日は終わりか?」
「…それなんだが」
軽く返し、冬弥に振ってみれば彼は少し困った顔をした。
「…彰人、自転車は持っているか?」
「…そりゃあ、まあな」
唐突なそれに疑問符を浮かべながら答える。
そうか、と少し寂しそうな冬弥曰く、今回の歌が自転車こいでひたすら走る、という爽やかな歌詞なのに、自転車自体にロクに乗ったことがないらしいのだ。
昔からクラシック一筋で、厳しく教えこまれてきた冬弥は手を怪我してはいけないと禁じられてきたようで。
「あまり、感情移入出来ないんだ」
目を伏せる冬弥に、なるほど、と思う。
彼は完璧を目指すタイプだ。
彰人と並べる様にと頑張っている冬弥が努力を惜しんでいないのは知っている。
…だったら。
「…乗れば、いいんじゃねぇの?」
「え?」
「なんならオレの後ろ、乗せてやるけど」
驚く冬弥にそう言って笑った。
「流石に国道18号線までは行けないけどさ、好きなトコ連れてってやるよ」
「…!…すまない」
「おー」
ふわ、と表情を緩める冬弥に彰人はひらひらと手を振った。
自転車に乗るように、彼の思いが軽くなれば良いと思う。
「…彰人、速くないか…?!」
「んなことねぇよ。つかくっつき過ぎ。曲がれねぇだろー?」
「そんな、こと言われても…!」
焦る冬弥の声をBGMに、風をきった。
背中から伝わる温もりと、とくとくと聴こえる心音が心地良い。
「坂来るぞー、落ちるなよ!」
「えっ、まっ、まて、彰人!」
「待てるかっての!」
ふは、と笑い、坂を下る。
ひっと引き攣る声に背に掴まる力強い手。
…彰人の手を取ってくれた、手。
それだけで良い。
引っ張って、横に並んで、二人で走れば良いのだから。
『自転車こいで、ひたすら走る!』
(その先に二人の未来があると信じて!!)
自転車こいでひたすら走る
初めて出会う街 目指して
夏の終わり すずしくなった朝が
けだるい日常を運んでくる
退屈な場所へ向かうコース 逸れて
いつもは使わない国道(ルート)を通る
夢もあった 理想(きぼう)もあった
だけど声に出すのがとても怖かった
眼の前に立ちはだかる茨の道を
乗り越える勇気を...
「この手にください!」
自転車こいでひたすら走る
その先に未来がある気がした
自己満足(ひとりよがり)でもいい
正直なんだっていい
わずかでも何か変わるなら・・・
明日に続くと信じて走る
国道18号(ルート18)
見たこと無い道は 背景変えながら
普段と違う想いを届ける
すれ違う人の全員にきっと
それぞれの生き方が・・・とか思った
一般人A(モブ)でしかなかった自分は
それ相応の道だけ進むはずだった
突然の急な坂を上りきったら
もっと高く高く...
「陽のあたる場所へ!」
自転車こいでひたすら走る
今だけは自分が主役な気がした
自己満足(ひとりよがり)でもいい
正直なんだっていい
わずかでもイマが変わるなら・・・
明日に続くと信じて走る
国道18号(ルート18)
傷つくこと恐れた心は
カラッポでひび割れそうだった
暗闇で孤独に震えるくらいなら
傷だらけになってもいいや
自転車こいでひたすら走る
名前を呼ぶ声にやっと気がついた
かっこ悪くてもいい
イマはガランドウでいい
少しずつ埋めてゆくよ だから...
明日に続くと信じて走る
国道18号(ルート18)