七夕
七夕は夏のバレンタイン、とは誰が言い出したのだろうか。
「…くだらねェ…」
頬杖をつきながら彼女がそう言う。
行儀が悪いと窘めながらも発言自体は否定しなかった。
ちなみにザクロも同意見である。
「そんなら、ハロウィンは秋のバレンタインかい?」
「…どちらかと言えば、ポッキーの日じゃないか?」
馬鹿にしたようなそれにザクロは真面目に返した。
確かに恋人たちが楽しくしているのはハロウィンもそうだろうが、ポッキーの日の方がチョコレートも使っているしバレンタインに近しいだろう。
そう思った発言だったのだがカイコクが余計に嫌そうな顔をした。
女子、である割にそういう行事をあまり好ましく思っていない彼女らしい反応といえばそうなのだろうけど。
「別に構わないだろう、貴様には関係ないのだし」
「…関係ない、ならな」
はぁ、とカイコクが息を吐く。
不思議に思って首を傾げれば、ん、と短冊を渡された。
「は?おい、鬼ヶ崎!」
「関係ねェとは言わせねェぞ、なぁ…ザクロくん?」
ひら、と手を振る彼女はポニーテールを揺らして立ち去る。
慌てて短冊を見ればそこには「忍霧の願いが叶いますように」の文字があった。
ザクロの願いはただ一つ、鬼ヶ崎カイコクといつまでも共にいられますように、だ。
彼女がその願いを知っていてこれを渡したのだとしたら。
マスクの下の口角が上がる。
まったく…彼女は素直ではないのだから!
「待て、鬼ヶ崎!!」
彼女が去った先を追いかける。
ザクロたちの七夕は、これからだ。
いつもより彼女が素直になる日。
今日は夏のバレンタイン!
(年がら年中イチャイチャしてるなんて、野暮なことは言わないお約束だよ?)
リンレン1
「ねぇねぇレンー!これで大丈夫かなぁあ?!」
「…大丈夫だって…。…っつかこの質問何回目だよ…」
ぶんぶんとおれの服を振り回すリンに息を吐きながらそう返す。
つうか、ライブ衣装なんだからやめてくんないですかね?
「だってだって!14周年ライブだよ?!ニ人きりだよ?!!」
「けど、リハもしたじゃん」
「しーたーけーどー!!」
わぁあん!と騒ぐリン…気持ちは分かるけどさぁ。
まさかの14周年ライブをする、と発表からグッズが出てテーマソングも決まってまあ怒涛だった。
おれもリンも練習に撮影に物凄く忙しかったし。
ちょっとでも良い物にしたかったしな。
「あたしでも不安になるもん…」
「…あの、鏡音リンが?」
「レンは鏡音リンをなんだと思ってるの???」
ブスくれるリンを揶揄ればジャーマンスープレックスをかけようとしてくる。
ライブ前に無駄な体力使うなよな!!
「あら、賑やかねぇ」
「やほー、初音さん参上!」
楽しそうな声に振り向けばひらひらと手を振るメイ姉ぇとミク姉ぇがいた。
良かった、助かった!
「メイ姉ぇ!ミク姉ぇ!」
ぱあっとリンの表情が明るくなる。
「二人が来てくれて良かったよー!」
「…本当に、良かった…」
「リンはともかく…レンはなんでそんなに疲れているの?」
嬉しそうに駆け寄るリンを抱き止めながらメイ姉ぇが聞いてきた。
そこについては触れないでいてくれると有り難いかなぁ…!
「いや、まあ…ちょっと色々」
言葉を濁せば、そう?と笑ったメイ姉ぇはそのままその話題を引っ込めてくれた。
流石は我が家の長女。
よくわかっていらっしゃる!
「…ちゃんと謝らないとだめだよ?レンくん」
こっそり囁いてくるミク姉ぇとは格が違いますよね!なんて思いながら曖昧に頷く。
まあ事実だしな。
「悪かったよ、リン」
「あははっ、別に怒ってないよー。あたしも、自分がライブ前に不安になるなんて知らなかったし!」
からからと笑うリンにホッとしていれば、あら、とメイ姉ぇが笑った。
「ちゃんと不安になるのは良いことよ。それだけ素敵なライブにしたいってことだし!」
「そうそう!あたしも未だに不安になるしー」
ミク姉ぇにそう言われて二人して目を丸くする。
あの、世界的な電子の歌姫であるミク姉ぇが?
「ミク姉ぇでも不安になるの?」
「そりゃあなるよー。初音さんをなんだと思ってるの」
「初音さん、ライブめっっっちゃやってんのに?」
「めっっっちゃやってるからこそ不安になるんだよ?新しい人はどうかなぁとか、昔から聴きに来てくれる人は今回も楽しんでくれたかなぁとか!完璧なものをお届けしたいけどもっとこうすれば良かった、とかは必ずあるし。だから、ベストは尽くすけど改善点は必ずあるんだよ。なかったらそれはそれで止まっちゃうからね」
えっへん!と胸を張るミク姉ぇ…やっぱりこういうトコ、世界の、電子の歌姫なんだなって思う。
「ミク姉ぇが先輩みたいなこと言ってるぅ…」
「本当ねぇ…」
「リンちゃんもお姉ちゃんも初音さんをなんだと思ってるの???」
「こういう時は真面目だよな、ミク姉ぇは」
「レンくんまで!!」
もー!と怒るミク姉ぇに、みんなで笑った。
「ふふ。…でも、これは二人にしか出来ないことなのよ?二人なら出来るってみんなが思ってくれているんだから、きっと大丈夫」
メイ姉ぇがパチン、とウインクする。
うん、何か大丈夫な気がしてきたな。
気にしてないつもりでも、おれも緊張してたらしい。
「まあ、パワフル元気が二人の持ち味なんだから、思いっきり楽しんでらっしゃい」
「リンちゃんもレンくんも、頑張って!会場のみんなが待ってるよ!」
トン、とそれぞれから背中を押される。
先輩が、こんなに頼もしい先輩が見守ってくれるんだから、きっと大丈夫だ。
隣のリンを見てニッと笑う。
リンもおれを見て笑いながら手を繋いできた。
「楽しもうね、レン!」
「おう、思いっきりやろうな、リン!」
カウントダウンが始まる。
さぁ、ライブはもうすぐ!!
ナナミ誕
今日はナナミの誕生日なんだ!とチヒロが言い出し、それを聞いた彼はきょとんとした。
「えっと…おめでとう御座います」
「あら、ありがとう」
ぺこりと頭を下げる彼、駆堂シンヤにナナミはくすくす笑いながらお礼を告げる。
なかなか如何して彼は素直らしかった。
同じ大学1年生なのにこの違いは何なのだろう。
「でも…歳は取りたくないって思っちゃうわよねぇ。こう考えちゃうのも歳かしら」
「…。…そこまで…思うほどではないと…思いますけど」
少し考えながらシンヤが言う。
社交辞令というわけでもなく、素直な言葉なようだが、如何言えば良いのか分からなかったようだ。
確かによく知らない相手に返す言葉としては最適解かもしれない。
「そう?アタシ綺麗?」
「…何かそう言う妖怪いたよな」
笑ってみせるナナミに誰かがぼそっと言う。
勿論犯人は分かっているので後でどうにかするとして、と物騒な思考をするナナミに、シンヤは柔らかく笑った。
「…綺麗、という言葉が最適かどうかは分かりませんが、見た目だけではなく中身も素敵な人だというのは伝わります」
「…完璧な回答ね…」
ナナミのそれにシンヤが首を傾げる。
それに、ありがとう、と笑い、ふともう一人の彼を思い出した。
「ねぇ、鬼ヶ崎クン。アタシきれい?」
地下探索をしながらそう聞けば彼ははぁ?と言う顔でこちらを向いた。
忙しいのに何を、という表情を隠さない彼、鬼ヶ崎カイコクは少し考えるように上を向く。
彼の性格上、適当に発言を流すようなことは出来ないのだろう。
流すフリをして、きちんと考えている。
そういう人なのだ、彼は。
「そうさなぁ。確かに兄さんは綺麗だが…。…そりゃあ中身が伴ってるからじゃねぇか?見た目は別嬪さんでも中身が最悪じゃあ話になんねェからな」
彼がお面の紐を揺らして軽く笑う。
ナナミの真意を分かっていて。
地下生活で少し疲れたナナミの真意を。
「ま、俺が綺麗だって言うより自分の方がよく分かってんだろ?」
兄さん、とへらりと笑うカイコクに、ナナミはそうね、と笑ったのだった。
「…やっぱり似てるのかしら」
「え?」
ナナミのそれにシンヤは首を傾げる。
何でもないわ、と笑い、誕生日も意外と良いかもしれないと思った。
(カイコクの優しさと、シンヤの優しさが似ていることに気付けた、それだって素敵な誕生日プレゼント!)
「ところで、アタシを口裂けババア呼ばわりしたのは誰かしら?」
「ババア呼ばわりはしてな…あ」
司冬ワンドロ/流れ星・大きくなったら
何が出来るかな
何処へ行こうかな
誰に会おうかな
おおきくなったら
ふと、星空を眺めながらそんな歌を思い出した。
確かあれは教育テレビの…。
「司先輩」
「ん、おお、冬弥!」
かけられた声に振り向けば冬弥がスイカを乗せた盆を持って立っていた。
今日は流星群が見られるかもしれないということで、久しぶりに自宅に来てもらったのである。
テーブルにスイカを置いた冬弥が隣に座った。
「それにしても久しぶりだなぁ」
「そうですね。…星は、こうして司先輩と一緒に見るのが当たり前になっていたので…何だか懐かしい感じがします」
「…冬弥」
柔らかく微笑む冬弥が空を見上げる。
昔はよくこうやって星を見ていたものだ。
夜遅くなる冬弥の両親の代わりに司が側にいて星座について教えてやったのである。
お陰で遭難しかけた時に助かったと冬弥は言っていた。
そう、笑えるようになったのも司のお陰なのだと。
「…そういえば、最後に星を一緒に見たとき、流れ星に何を願ったのか、教えてくれませんでしたね」
「…む、まだ覚えていたのか」
「はい。大きくなったら教える、と言って下さったのも覚えています」
「全く、記憶力が良いんだなぁ、冬弥は」
「先輩の言葉ですから」
ふふ、と笑う冬弥に司は苦笑いを返す。
確かあの日、願ったそれは…。
『司さん、なにをおねがいしたんですか?』
『ん?んー、そうだなぁ…』
『わっ、わっ?!』
『まだヒミツだ!おおきくなったらおしえてやるぞ!』
冬弥の肩を抱いて、いたずらっぽく笑った先で、流れ星が煌めいた、その記憶が蘇り司は懐かしくなった。
あの頃からずっと好きだったのだ。
司は、冬弥の事が…ずっと。
「…まあ、願いは叶ったしなぁ」
「え?…わっ」
きょとんとする冬弥の肩を抱く。
そうしてあの時と同じ様に笑った。
「冬弥が、音楽を好きでいてくれますように、だ!」
「…?!」
目を見開く冬弥に、願いを伝えれば叶わなくなるだろう?と言えば冬弥も笑う。
「そうですね。…意味深な言い方をしていたので、何か別のことかと…」
「?何を言う。夢は掴み、叶えるものだ。願いは己の力が及ばないことを祈るもの。…オレは、冬弥との関係を願うほど、オレ自身ではどうにもならないと悲観してはいないからなぁ!」
「…司先輩」
「冬弥が隣で笑えるようにと流れ星に願うなら、オレはショーの一つでも披露しよう」
司は笑い、冬弥にキスをした。
視界の端で流れ星が光る。
大きくなったら冬弥と結婚したい、と願いかけてやめたことは秘密にしようと思いながら。
今日も二人で星を見る。
(大きくなったら、と夢を魅るなら
掴むよう手を伸ばすことが先決ではないか!)
梅雨の彰冬
「大変だ、彰人!」
「…どした?」
冬弥が慌ててやってくるものだから、彰人も眉を顰め、見ていた楽譜を置いた。
何かあったのだろうか。
いつになく真面目な顔で冬弥が口を開く。
「…梅雨が終わってしまうらしい」
「…。…良い事じゃねぇか」
綺麗な口から出てくるそれにぽかんとしながらも、彰人はそう返した。
彼の天然発言には慣れたと…思っていたのだけれど。
きょとんとする冬弥に、ああ、彼にとっては至極真面目な発言だったのだな、と思う。
「…良いこと、なのか?」
「いつもの公園で練習出来なくなるだろ。登下校だって雨じゃ面倒だし」
「…。…確かに、いつもの公園で練習は出来ないな。だが、俺は雨の登下校も嫌いではないぞ」
「…マジか」
小さく笑う冬弥に、まさかそんなことを言われるとは思わず呆けてしまった。
彰人にとっては面倒なことこの上ない雨の登下校だが、冬弥にとってはそうではないらしい。
「ああ。…梅雨が終わると知って、彰人が選んでくれたレイングッズが使えなくなるのかと思ってしまった。…俺にとっては初めてのことだったからな」
「…誰かにレイングッズ選んでもらうのが、か?」
「いや。雨の中、傘を差して帰ったり雨音を感じながら歩いたりすることだ」
楽しそうに冬弥が言った。
初めて、の言葉に一瞬驚いたが…きっと普通のことだったのだと思い直す。
「小学校時代は母さんが迎えに来てくれていた。体を冷やしてはいけなかったからな」
「…」
「別にそれ自体が嫌だったわけではないが…雨のときは殊更、雨音とピアノやヴァイオリンの音がよく響いていた気がする」
冬弥の言葉に頭を掻いた。
きっと、彼は皆が遊んでいる横を帰るのが辛かったのだろう。
だからこそ、冬弥にとって雨は嫌いなものではないのだ。
雨の日は外で遊ぶことが出来ないから。
室内でピアノやヴァイオリンの練習に明け暮れても、皆外に出ることが出来ないから。
周りと平等になれた気がしたのだろう、と。
そこまで考えて、彰人ははぁあと息を吐く。
「?彰人?」
「別に。…つか、梅雨じゃなくても使えば良いだろ、レイングッズ。雨はいつだって降るんだしよ」
「…!…ああ、そうだな」
彰人のそれに、冬弥が小さく微笑んだ。
雨の色をした冬弥の髪が揺れる。
きっと彼と一緒なら、どんな季節も楽しくなると、そう思った。
雨を知らない彼は
誰より雨の色を、している
「紫陽花の色をじっくり見たのも初めてだな」
「…んなもん、オレだってじっくり見た事ねぇよ」
司冬ワンライ/ハグ・おあずけ
「司先輩。夏の間はハグはなしにしましょう」
冬弥からそう言われて司は固まってしまった。
一体何故だ。
頭の中がぐるぐるして考えがまとまらない。
確かに司はスキンシップは多い方だが、冬弥だってそれを嫌がらなかった。
今までそんなこと言わなかったのに…!
「…冬弥、理由…そうだ、理由はなんだ?」
慌てつつも努めて冷静に問う。
冬弥は言葉が少ない方だ。
だからきっと理由があるはずだと…思ったのだけれど。
「…理由…ですか。…そうですね…」
司のそれに冬弥は少し考えてから口を開く。
「…暑いから、です」
「…ん?!」
予想外の答えに司は驚いた。
単純明快、少し考えればわかるそれ。
「そ、それだけか?」
「はい。…いえ、この答えは少し違いますね。暑くないか、と問われたからです」
「誰にだ?!」
「暁山達に。…仲が良いのは構わないが、暑くないのか、と」
冬弥の答えに思わずぽかんとする。
そういえば、少し前に学校で冬弥に抱きついたことがあったっけか。
どうやらそれを見られていたらしい。
暑くないかと聞かれたのは善意でしかないのだろう。
…もっとも、面白半分もあるだろうが。
「白石も小豆沢に抱きつくのは夏場は躊躇すると言っていたし、草薙もショーキャスト仲間が抱きつくのを迷っていると言っていました。俺は暑くはなかったのですが、先輩が暑いかもしれないと思いまして…」
「…えむのやつ、あれで迷っていたのか…。…ってそうではなく!」
意外な事実に少し驚いたが今気にすべきはそこではなかった。
「冬弥は暑くなかったのだろう?!オレも暑くはない!むしろ大歓迎だ!」
「…司先輩」
「それに、暑さよりも冬弥とのハグをおあずけされる方がオレはツライ。…撤回してくれないか?」
「…。…分かりました」
冬弥がふわりと微笑む。
撤回宣言とも言えるそれに嬉しくなって抱きつこうとした司を、細い指が止めた。
「では、外ではなしにしましょう」
「む?!…ちなみに学校は…」
「外の範疇になりますね。…では」
「待て、待て待て冬弥!それは実質ハグおあずけに当たる…冬弥ー?!」
叫ぶ司に冬弥が足早に去っていく。
司は知らない。
冬弥がほんの少しだけ意地悪な顔をしていたのを。
司は知らない。
冬弥が、ハグを見られて恥ずかしかったということを。
冬弥は知らない。
おあずけを食らった司は大層面倒くさいということを!!
(暑さなんて関係なく熱いのを見せつけてやれば良い、なんて言われて絆されるまであと何日?)
類冬
本日は類の誕生日である。
特に楽しみなこともなかったのだが。
「…お誕生日おめでとうございます、神代先輩」
にこ、と冬弥が微笑む。
わざわざ教室に来てまで祝ってくれた冬弥に、少し驚きながらも「ありがとう」と告げた。
「そうだ、青柳くん。放課後少し時間をもらえるかな?」
「…今日は図書委員なので…終わってからになりますが」
「ああ、構わないよ」
小さく首を傾げる冬弥に笑いかけ、類は彼の手を取る。
神代先輩?と不思議そうな冬弥の綺麗なその手を持ち上げた。
「僕は、君の大切なものを…誕生日に独り占めしたいだけなのだからねぇ」
さて、その数時間後。
「ふふ、待ちきれなかったよ、青柳くん」
「…神代先輩。やはり、その…図書室でそういうことをするのは、なんと言いますか…」
にこにこする類に冬弥が困った顔をする。
「おや、鍵はかけたよ?僕らに気づく人はいないと思うけれどねぇ」
「…それは……そうなんですが」
「なら構わないよねぇ?青柳くん」
小さく言葉を濁す冬弥に、類は「今日は僕の誕生日なのだけれどな?」と言ってみせた。
目を見開く冬弥が、その言葉に弱いのを知っていて。
逡巡してから後、冬弥は小さく息を吐き出し、分かりました、と言う。
「…その代わり、先生に怒られたら先輩が何とかしてください」
「もちろん。君の為に最高の言い訳を考えてあげようじゃあないか」
上機嫌な類に冬弥も柔らかく微笑んだ。
…そうして。
「~♪」
綺麗な高音が彼の喉を震わせる。
類もよく知る曲だ。
冬弥の高音を支えるように下のパートに入った。
ユニゾンが閉め切られた部屋に響く。
最後の一小節を歌い終え、ほう、と息を吐いた。
「いやぁ、素晴らしかったよ、青柳くん!どうもありがとう」
「いえ。…俺も、楽しかったです」
微笑む冬弥に、類も目を細める。
類が彼に、誕生日だからとお願いをしたのは「一緒に歌ってほしい」ということであった。
「まさか、神代先輩から一緒に歌ってほしいと言われるなんて思いませんでした」
「おや、そうかい?僕はずっと羨ましく思っていたんだよ」
意外そうに言う冬弥に向かって類は笑みを向ける。
首を傾げる彼の髪をすくい上げて口付けた。
そう、ずっと羨ましく思っていたのだ。
彼の相棒である東雲彰人や、彼の幼馴染である天馬司のことが。
一緒に歌ったことがあると知って、何だか凄く羨ましくなったのである。
「…!…そう、でしたか」
小さく笑った冬弥がするりとその手から逃げ出した。
「…俺は、神代先輩と一緒に歌ったこと、ありますよ」
「…ん?!それは、どういう…?!青柳くん?!」
「…ふふ」
楽しそうな冬弥が焦る類から距離を取る。
なるほど、捕まえて聞き出してみろということのようだ。
「ふぅん、プレゼントは自分で捕まえてみろ、ということかな。良い演出だねぇ。…青柳くん?」
「神代先輩には負けますよ」
珍しく挑戦的な冬弥は、どうやら図書室を無理やり音楽室代わりにしたことを根に持っているらしかった。
真相というプレゼントを自らの手に掴むため、類は手を伸ばす。
爆発も落下も特別な演出はないけれど、これはこれで楽しい誕生日だな、なんて類は思った。
(可愛い恋人から歌のプレゼントをもらって、軽い追いかけっこなんて、有り触れた誕生日、だろう?)
何と言っても、今日は類の誕生日!
司冬ワンライ・あじさい(ハイドランジア)/色が変わる
通学路に紫陽花が咲いていて、司はもうそんな時期なのだなぁと思う。
濃い青と薄い青のツートンは何だか隣にいる彼のようで思わず笑ってしまった。
「…?司先輩?」
「ああ、いや、すまん」
不思議そうな彼に謝って司はほら、と指をさす。
「…紫陽花、ですね」
「ああ。あの花が冬弥のようだな、と思ってなぁ」
「紫陽花が、俺、ですか?」
再びきょとんとするから、司は笑いながら頷いた。
「集真藍、藍色が集まるという意味から昔はそう呼んだらしい。雨に濡れてなお美しい花は冬弥に似ていると思わないか?」
「…そうでしょうか…」
司のそれに、冬弥自身はあまりピンときていないらしい。
謙虚だと思っていたが、彼が悩んだのは違う理由のようだった。
「…青の紫陽花の花言葉は、あなたは美しいが冷淡だ、という意味があるそうです。…俺は、冷淡であるつもりはないのですが…」
「何だ、そんなこと!」
少し目を伏せる冬弥のそれに司は笑い飛ばす。
大方、誰かにそう言われでもしたのだろう。
まったく、真面目で可愛らしいのだから!
「確かに、青の紫陽花にはそういう意味もある。青は冷たいイメージもあるから、冷淡だ、などと言われてしまうのだろう。…だが、紫陽花はそれだけではない」
司は、冬弥の手を握った。
そうして、なあ、と囁く。
「…冬弥、愛している」
「…!司、先輩?」
「他人からは冷淡に見えてしまうほど美しいお前も、中身は熱いものがあることを、オレは知っている。知っているからこそ敢えて言おう。…オレはお前の、青柳冬弥の全てを愛している、と」
「…っ!!」
「もちろん、可愛らしいところも、柔らかい部分も含めて全てだ。…愛しているぞ、冬弥」
司は微笑し、ピンク色に染まった彼の耳をすり、と触った。
「…、せん、ぱ…」
「…色が、変わったな」
小さく囁き、司は言う。
ぽたり、と水滴が地に落ちて跳ね返った。
青の紫陽花には、あなたは美しいが冷淡だ、という意味がある。
だが、色が変われば意味も変わるのだ。
緑はひたむきな愛。
紫は神秘的。
白は寛容。
そうして、ピンクは。
「…どんな色も綺麗だが、この色を持つ冬弥は特別に愛おしく思うぞ」
司は笑う。
強い愛情を与えられた、紫陽花は、それはそれは美しいと、そう、思うのだった。
司冬ワンライ・雨上がり/虹をかけて
今日は朝のニュースで雨が降ると言っていた。
だから帰る間際になって降り出しても、そんなに落胆はしなかった。
そも、司は別に雨が嫌いなわけではない。
新しいレイングッズが下ろせる、と咲希も喜んでいたし、雨模様もそれはそれで風情がある。
それに、雨が上がった後の空の美しさを、司は知っていた。
その為ならばまあ、と思いながら司は持ってきた傘を開ける。
しばらく歩いたところで、見覚えがあるツートンカラーの後ろ姿を見かけて司はぎょっとした。
慌てて駆け出し、「冬弥!」と呼びかける。
「…っ!司先輩!」
「傘も刺さずにどうしたんだ!風邪をひいてしまうぞ?」
驚いた様子の彼に言えば、へにょりと困ったように笑った。
「…すみません。…クラスの女子が困っていたので…」
「まったく、優しいな、冬弥は。だが、それで自分が濡れてしまってはその女子も心配するだろう?」
「そう、ですね」
少し眉を下げる冬弥に、司は息を吐き、いつものような笑みを浮かべる。
別に冬弥を叱っているわけではないからだ。
「まあ、この天馬司が来たからにはもう安心だ!!良ければ、家まで送るぞ?」
「…!そんな」
「なぁに、遠慮するな!それに、前にも同じシチュエーションがあっただろう?」
そう言うと冬弥はきょとんとする。
やがて思い至ったのかくすくすと笑った。
「そう、でしたね」
「あの時も傘がなかったな、冬弥は」
「はい。それから、先輩が傘を差し出してくださいました」
「そうだった。それからうちで雨宿りをしたんだったな」
「…帰ってきた咲希さんに驚かれてしまいました」
二人でくすくす笑いながら思い出話に花を咲かせる。
あの時はああだったとか、今日はこうだとか言いながら歩いていると次第に傘に当たる雨粒が少なくなっているのに気づいた。
「…おお、止んでいたのか」
「…。…気付きませんでしたね」
傘から手を出し、滴が落ちてこないのを確認すると司は傘を閉じる。
いつの間にか灰色の空からは光が一筋降り注いでいた。
「天使のはしご、ですね」
それを見た冬弥がニコリと笑う。
柔らかで美しい笑みの彼はまさに天使。
「ならば、冬弥はオレの天使だな!」
思っているだけでは伝わらない、と司は言葉にして冬弥の手を握った。
目を見開いた冬弥は再び笑みを浮かべる。
そうして。
「…それなら、司先輩は俺の虹、ですね」
「うん?虹?」
「はい。虹です」
くすくす笑う冬弥を不思議に思いつつ振り返る。
そこには大きな虹がかかっていたのだった。
雨上がりの後、柔らかな日差しと共に現れる虹のふもとには、大切な宝物が!!
(それは雨上がり後の、二人きりの秘密の話)
エイプリルフール彰冬
これまで上手くやっていた、つもりだった。
変人と名高い(歌の技術もずば抜けて高いが如何せん行動がそれを上回るのだ)先輩たちとのセッションも勉強になった、これは今後の糧になるだろう。
二人できっと、RADWEEKENDを超えるのだと、信じていた。
そう、今日この日までは。
「…今、何つったよ」
「…。…終わりにしよう、彰人」
冬弥の声が淡々と、練習終わりの部屋に響く。
こんなにも反響しているのに、一向に耳に入って来なかった。
…いつもはあんなにも聴こえてくる相棒の声が。
「…はっ、冗談だろ?」
「…俺が、冗談を言えないのは彰人が一番良く知っていると思ったが」
無表情の冬弥は、確かにこんな冗談は言わない質だった。
純粋で、真っ直ぐで、…音楽にも真摯で。
だからこそ二人で夢に向かって突き進んできたのに。
「先輩方に教えてもらっても夢の一端すら見えてこない。もう、潮時なんだ。…俺は、降りる」
「…テメェ!!!」
感情のない声に彰人はカッとなり冬弥の頬を殴る。
荒い息遣いはどちらのものだったろう?
もう、分からない。
この状況も、冬弥の言葉も、何もかも。
「…。…彰人は、ここに居れば良い。…夢が、消えないように」
「…うるせぇ。二度とその面見せんじゃねぇぞ」
低く言葉を吐き出して彰人は部屋を出る。
乱暴に扉を閉め、しばらく歩いた後ズルズルとその場に崩れ落ちた。
「…なんなんだよ、クソッ……」
彰人の言葉だけが虚しく響く。
…これからだったのに。
曇天から雨が降る。
彰人の周りだけに。
街の喧騒だけが遠く、喧しく響いていた。
それから数日。
ライブハウスでは彰人しか見ないと実しやかに囁かれるようになった。
まあ事実だしな、と思いながら彰人はカバンを持ち上げる。
「…あの噂は…なのか」
「…って」
聞き覚えのある声にそちらを見れば司と冬弥が何やら話しているところだった。
興味ないな、と足早に通り過ぎようとした時である。
「…彰人に捧げた心臓はいつか返して貰わなければいけなかったんです。それが、今になっただけで」
「…しかしなぁ」
「…。…すみません」
何か言いたげな司に冬弥が頭を下げた。
それを一瞥し、彰人は止めていた足を踏み出す。
「…なんだよ、それ」
喉の奥から絞り出した声は誰にも届かなかった。
届きさえすれば変わったかもしれないのに。
足を踏み出す方向が違えば、未来は変わっていたかもしれないのに。
「…オレは冬弥の考えを止める気はない。だが、それで良いのか?お前の、お前だけの気持ちはどうなる。…一緒に歌った時の冬弥は楽しそうだったぞ」
「……俺、は…っ!」
冬弥の答えを聞くことがなかった彰人には、もう彼の『返事』を知る術は、ない。
「やあ、東雲くん」
「…なんスか」
ひらりと手を振る人物に彰人は胡乱げな目を向ける。
対してその人物は気にした様子もなかった。
「少し、練習前に聞きたいことがあってねぇ」
「…オレに答えられることなんてないッスよ」
「おや、そうかな?」
簡素な彰人のそれに類が笑う。
何なんだ、と睨めば、彼は笑みを浮かべたまま口を開いた。
「…青柳くんとこのまま別れてしまって良いのかい?」
「…。…オレには、関係ないんで」
「…本当に?」
切り上げようとした彰人に類が問うた。
反論しようとして言葉が詰まる。
本当は。
…本当は、如何したいんだっけ。
RADWEEKENDを超える。
その為に、如何したかったんだろう。
冬弥の歌声が聴こえてくる。
彼の歌が好きだった。
ずっと、ずっと、初めて聴いた時から…ずっと。
ずっとこれからだったのに。
これから、『だった』のに。
彰人が吼える。
ぐにゃりと、視界が歪んだ。
違う、だって、このセカイは。
「…っ、オレは二度もあいつからさよならなんて言わせねぇんだよ!!!」
ぼんやりと目を覚ます。
「む、起きたな、彰人!」
「おはよう、東雲くん」
「…。…何でいんだよ…」
元気な司と隣で笑みを浮かべる類に、彰人は心底うんざりした顔をした。
あまり夢見が良くなかったのに、勘弁してほしい。
「冬弥が心配していたからなぁ、無碍には出来んだろう。まあ大切な相棒の元気がなければ心配もするのではないか?」
「ああ。青柳くんが最近君がオーバーワーク気味だからと気にしていたからねぇ、様子を見てくるように提案したのさ」
「そりゃ、どーも」
口々に言う司と類に形式だけのお礼を告げた。
確か冬弥は図書委員の活動中のはずである。
それなのに心配してくれたのだろうか。
「愛されているなぁ、彰人は」
「大切にしなよ、東雲くん」
「んなもん、言われなくても」
大声で笑う司と何かを含んだような類に彰人はあっさりと言った。
そんなこと、言われなくてもわかっている。
あんな思いは一度だけで充分だ。
戻りたい、と願って再度手に入れた位置である。
夢であったって、彼からのさよならなんてもうごめんだ。
二度と、離してなんかやらない。
雨ごときに、冬弥を渡してはやらない、と。
「オレたちは、ずっとこれからなんでね」
彰人は挑戦的に笑った。
ずっとこれからだったのに、なんて後悔はしない。
冬弥の、綺麗な歌声と相棒の位置はずっとずっと自分だけのものだ。
渡せと言われたって、渡しはしない。
だって、雨は上がっているのだから。
愛していたいのはどうして?
愛されたいのはどうして?
そんなの、知らない。
曖昧な答えは直して、一つの解に導いていく。
それは、きっと。
(オレが、そうしたいんだから、仕方ねぇだろ!)
「…なぁ、アンタら今放課後って何してる?」
「?何を今更。ワンダーステージのショーキャストだが?」
「まだ寝ぼけているのかい?それとも、リアル過ぎる夢だったのかな」